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【石野伸子の読み直し浪花女】小松左京・不滅のSF魂(2)沼にハマって400万部「日本沈没」 地球物理学者と勉強…緻密な網しかけ

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映画「日本沈没」の製作発表をする小松左京。沈没ブームに巻き込まれ多忙を極めた42歳=昭和48(1973)年8月
映画「日本沈没」の製作発表をする小松左京。沈没ブームに巻き込まれ多忙を極めた42歳=昭和48(1973)年8月

 「日本沈没」は昭和48(1973)年、カッパ・ノベルズ(光文社)から出版された書下ろし作品で、発売されるやたちまちベストセラーになった。その年の暮れまでに上下巻合計四百万部という記録をつくり、その話題は単に出版界のみにとどまらず、社会現象になるほどのインパクトを社会に与えた。

 翌年、日本推理作家協会賞を受賞したとき、小松左京は受賞あいさつで「世情不安とたまたま重なって、多少世間をさわがせた」とあいさつしている。

 「世情不安」とは、そのころ続いていた浅間山噴火や西之島の海底火山の噴火現象、さらにその年の秋に勃発した「石油ショック」で社会全体が不安感に包まれたことだ。作品はその年のうちに東宝で映画化され、こちらも大ヒット。「日本沈没」は小松左京の代名詞だ。

 地震によって日本列島が沈没してしまう。奇想天外な話だ。しかし、そのディテールが詳細に、理路整然と展開され、読む者を引き込んで離さない。

 小笠原近海の小さな島が突然水没し、深海潜水艦操縦士・小野寺は地球物理学者・田所博士とともに海底調査に赴く。海底で起きている不気味な現象。田所博士は確信する。「日本列島はあと2年で海底に沈んでしまう」。誰もが相手にしないその説を、憂国の士である陰の実力者が総理に伝え、政府は極秘裏に移民計画を練る。1億人の国民を海外に移住させる「D計画」。しかし、事態は急速に進行し、日本は未曾有の災害に見舞われる。

 心配性の小松左京が極端な危機をしかけては、そこから脱出する方法をさぐったSFの網。「日本沈没」はその最大にして最強の網だ。改めて読むと時代を経てなお、というより、時代を経たからこそ深く心に突き刺さるシーンが随所にある。

 「ドーン! と音をたてて重い書架が倒れかかってきた。天井と壁にひびがはいって、セメントの破片が土埃といっしょにザアッと降ってきた。頑丈なサッシュにはめこまれた窓ガラスが、バーン、バーンと裂けて、宙へ飛んで行くのを、呆れたように見つめていた

 日本沈没の助走となる「震度7の第二次関東大震災」の記述に、阪神大震災やその後に続く数多くの地震体験を重ねる人も多いのではないか。

 そして、びりびりと裂けついに海中に沈んでいく日本列島。

 「遠州灘東方沖合に生じた津波は、駿河湾にはいって、波高七メートルに達し、沿岸を一なめにし、沼津、富士両市をほとんど壊滅させ、富士川ぞいの、大地溝帯と中央構造線の交点に生じた大断層と、陥没した地盤に向かって奔流し、牙をむく海水は、ついに富士宮市南部付近まで達した

 東日本大震災の記憶を刺激する生々しい描写だ。

 小松左京はこの作品を書くのに9年の歳月を投じた。書き始めたのは昭和39年、長編「日本アパッチ族」「復活の日」を書き終えてすぐのころ。「自作を語る」(「小松左京自伝」所収)によると、そのころ米国の科学雑誌で大陸移動説が取り上げられ、いまや私たちの地震の基礎知識ともなっているプレートを使った地殻変動の説明「プレート・テクトニクス理論」が登場し、構想を得た。

 しかし、完成までに時間がかかった。その間には大阪万博でテーマ館サブプロデューサーを務めるなど忙殺されている。

 「時間をかけた分、作品はこなれたものになった。小松作品はアイデアがあふれ、ついていくのに苦労するものもあるが、これは知識、ストーリー展開、人間ドラマが実にバランスよくまとまっている。最良の作品だと思います」

 そう語るのは小松左京と親交のあったSF作家のかんべむさしさん(70)。そのかんべさんにSF作品における虚構の作り方を聞いた。いわば「ウソのつき方」。「日本沈没」はあまりに緻密で、何が現実かウソか判然としない。

 「最大のウソは沈没でしょう。これは小松さん自身に聞きました。本来プレート理論では列島は沈むのでなく隆起しないといけない。それを沈ませるために苦心している」

 科学をまったく無視してはホラ話になる。竹内均ら第一線の地球物理学者らと勉強会を重ね、出始めた電卓を駆使して国土地理院に聞いても要領を得ない日本列島の重さを計算し、独自の理論を投入して沈没させた。日本国民を救うべく移民計画を練る政治家や官僚の動きは、万博で見聞きした体験が生きている。

 なぜそこまで「沈没」にこだわったのか。実はそこには理由がある。   =(3)に続く

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石野伸子 石野伸子 産経新聞特別記者兼編集委員。生活面記者として長らく大阪の衣食住を取材。生活実感にもとづき自分の足と感性で発見したホンネコラムをつづるのを信条としている。

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