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【正木利和のスポカル】風景と対話し続けた画家、麻田鷹司

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日本三景を描いた麻田の作品。左から「天橋雪後図」「松嶋図」「厳嶋図」
日本三景を描いた麻田の作品。左から「天橋雪後図」「松嶋図」「厳嶋図」

 人は見知らぬ土地に憧れる生き物である。

 だから、旅をする。

 旅先で美しい風景を見れば、どうにかしてそれを残したくなる。

 風景画はそうして生まれてきた。

 ちょっと夏目漱石の「草枕」のような出だしになった。

 しかし、そんな風にして生まれてきた絵には、邪気がない。

 日本画家、麻田鷹司(1928~87年)の描いた風景画は、そうした絵である。

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 京都市東山区祇園町の何必館・京都現代美術館( http://www.kahitsukan.or.jp/ )で開催中の「麻田鷹司展」で、じっくりとその作品を見た。

 たった1枚、20代の初めに描いた自画像を除けば、展示されている絵は、のきなみ風景を描いたものだった。

 天橋立、厳島、松島の日本三景、清水寺や銀閣寺、八坂の塔といった建造物など、絵になる風景はもちろん、一見したところでは、どこだかわからない景色を切り取って描いたものもある。

 異なる風景ばかりなのだが、じっと目をこらしていると、そこに共通した何かが貫かれているのではないかと思えてくる。言葉に置き換えるなら、それは静謐であり、冷厳であり、壮大であり、無常…。

 前に立ってみればわかるであろう。きっと、ざわざわとした感情をも、すーっとおさめてくれるに違いない。それは、自分と向き合い、対話することのできる絵なのである。

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 麻田の本名は昂(たかし)という。日本画家で版画家の辨自(べんじ)(1900~84年)の長男として京都に生まれた。市立美術専門学校(現京都市立芸術大学)に進むが、学生のころから、その技量は注目されていた。

 美専卒業前年には第一回創造美術展に出品した「夏山」が入選。また、卒業制作の「残照」は大阪市長賞を受賞している。

 年表を調べると、団体展で受賞を重ね、日本画家としての実績を積みながら、麻田は幾度も渡欧、さらに後年には日中文化交流協会の代表となって、訪中も果たしている。

 麻田が旅する画家になった理由は以下の通りだ。

 《モデルへの気がね、遠慮もなく、風景はいつもそこで待っていてくれる》(麻田鷹司画文集「一風景画家の方法」より)

 彼にとって風景は、いつまでもじっと自分を待っていてくれる鷹揚(おうよう)な人物のようなものだった。

 《対象の風景との間には一期一会の対決のひとときがある。見すごし通り過ぎてしまう危険をいつもかかえている。或る風景が私の風景となるかならないか。私の心にしみる風景か否か、心が通い合えると感じたとき、今までただの眼の前の景色に過ぎなかった存在が風景となって私を釘付けにする》(同)

 われわれが麻田の風景画と対話できるのは彼自身、心が通い合える、と思えるものしか描かなかったからに違いない。

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 月並みかもしれないが、やはり名所はすばらしいということを、画家はある程度の年月を経てようやくわかりはじめたらしい。

 《車窓に、ものになりそうな景色を見つけては途中下車し無名の山河をさまよい、望外の収穫に画嚢をふくらますこともあれば、失望の重い脚をひきずることもあっての歳月。そのうち所謂(いわゆる)名所旧跡といわれる所の近くに収穫が思いがけず多く、そのあたりの景色が充実していることに気づき出した》(同)

 美術館の1階には「天橋雪後図」(1972年)「厳嶋図」(1975年)「松嶋図」(1974年)が並んでかかっている。

 雪をかぶり、俯瞰(ふかん)され、デフォルメされた日本三景。しかし、そこには、画家の心象も投影されている。

 画家は絵を描き、そして誠実に考える。

 《我々日本人の先祖が名所とよび名勝とよび、幾百年以上も愛し続けて来た風景とは一体どんなところであったのか》(天橋立の項=同)

 《歌枕なるものも古来日本人の持つ風景観の一端を知るうえで興味あるものの一つ》(松島の項=同)

 《海峡をへだてて対岸に黒々と横たわる島影は、まぎれもなく神のいます島、古人の見た神の島をそこに見たように思った》(厳島の項=同)

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 名所に「神」のありかを見た画家は晩年、東京に構えたアトリエから故郷を行き来し洛東の風景を描く。

 その取材に、同館の梶川芳友館長はいつもつきあったそうである。1986年には、その成果を同館で「洛中洛外 麻田鷹司展」という個展にして披露している。

 今回も館の2階に飾られている「祇園花篝」「八坂祇園社」「八坂ノ塔」「清水雪後」など洛東を描いたものからは、風景の切り取り方や背景に使われた箔(はく)など画面構成の妙に、そのすぐれた才を見いだすことができる。

 しかし、画家は個展の翌年、病のために逝った。

 梶川館長は惜しむ。

 「洛中洛外の風景画を完成させてあげたかった」

 《画家は、いつも、唯今描いている絵が絶筆となることを覚悟していなければなりません》(同「今日臨終」より)

 4階に掛かった京都・仁和寺の桜の素描の右隅には、こう記されている。

 「87-4-19 4:15」

 病を自覚した覚悟の一枚。数字は、その証であろう。

 梶井基次郎の小説ではないが、桜の木は盛り土の上に咲いている。それは、風景画に生涯をかけた画家の塚のようにも見える。

     ◇

 何必館・京都現代美術館で開催中の「現代風景画の指標 麻田鷹司展」は19日まで。

▼何必館・京都現代美術館( http://www.kahitsukan.or.jp/ )

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正木利和 正木利和 産経新聞文化部編集委員。大阪新聞から産経新聞社会部、運動部、部長を経て現職。運動部歴25年目となった秋、念願かなって美術担当に。好きなものは以下の通り。富岡鉄斎の絵、ジャランスリワヤの靴、よく墨のおりる端渓硯(たんけいけん)、勇敢なボクサー、寡黙な長距離走者、「水曜どうでしょう」について語り合うこと。当コラムは、スポーツの話題にときどきカルチャーを織り交ぜて、「スポカル」。以後、おみしりおきを。

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