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【石野伸子の読み直し浪花女】竹林の隠者・富士正晴(6)贋・久坂葉子伝 哀れ日本のヴァージニア・ウルフ…形に残した

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久坂葉子の死から4年後に出された「贋・久坂葉子伝」は富士の代表作となった
久坂葉子の死から4年後に出された「贋・久坂葉子伝」は富士の代表作となった

 「贋・久坂葉子伝」は翌昭和31(1956)年3月に筑摩書房から刊行された。昭和30年1月から10月にかけて「近代文学」に全10章のうち6章が連載され、また同時期に「VIKING」( http://viking1947.com/ )に連載した「エリザベス版久坂葉子伝」を合体するような形で単行本化された。

 富士正晴にとっては最初の単行本出版であり、また代表作のひとつにもなった。冬樹社版(昭和44年)、六興出版版(56年)などがあり、講談社文庫(55年)、ちくま文庫(平成7=1995=年)、講談社文芸文庫(平成19年)で文庫化されている。

 久坂葉子の鉄道自殺から4年。富士正晴はその間、同人であり弟子でもある久坂葉子の後始末に忙殺されたが、その強引さに仲間は反発し、久坂の遺族とは遺稿めぐって確執を重ねたあげく、自身で筆をとった作品だ。

 久坂の自殺の報が富士のもとに届けられた昭和28年の正月から物語はスタートする。そこから続く現実の久坂騒動と、久坂の心情をさぐる過去とが交錯するメタフィクション。久坂の心情吐露には遺稿「幾度目かの最期」をはじめとして、詩や富士にあてた文章などがフルに活用されている。

 富士は木ノ花(このはな)咲哉として登場する。大みそかにアヒルをつぶし、血の匂いを消すため焼酎をあおり年越しの酔いに包まれた木ノ花の寝床に、トッパーにズボン姿の久坂葉子が潜り込んでくる。

 「ねえ、わたし来たのよ」「こんな時にどうしたんだい」「うふふ」「よせよ、おれ困るよ」

 しかし、「彼女は黙ったまま、まつわりつくのを止めない。何か容易ならぬことが起るという感じがした」

 エロチックな夢に血なまぐさい現実を予感させる見事な出だし。「贋久坂葉子伝」は全編、このような緊張感が漂う長編力作だ。

 「文章の上に打ち立てようとした彼女の主張や生きざまを世の中にあらわにしたかった」という富士の思いが全編にあふれている。

 久坂葉子はなぜ自殺に突進していったのか。作品に何を書こうとしたのか。富士とのかかわりをまじえながら、その心情が丹念に掘り起こされる。

 芥川賞候補となった「ドミノのお告げ」は、没落過程にある名門家に生きる息苦しさを「落ちてゆく世界」としてまとめたが編集者により書き直しが繰り返され、富士の言葉を借りれば「愚かしいあくどい」作品になり、選考委員には「チャーチル会の女優の絵だ」(丹羽文雄評)と酷評され久坂の自尊心は大きく傷つく。

 作品は仲間にも素直に読んでもらえない。久坂は若く美しくそして複雑な女だ。名門である出自に疑問をもち、まだ焼跡のにおいが残る街中に飛び出し、酒を飲み、タバコをふかすかと思えば、身についた優美さでピアノを奏でる。戦場帰りも多い文学仲間の視線は険しくも妖しい。懸命に書いた「灰色の記憶」を「綴(つづ)り方教室だ」と酷評する男もいれば、明らかに言い寄る男もいる。富士正晴自身も、「贋・久坂葉子伝」の冒頭の夢に書かれたように、この若き同人に心乱される様子がみてとれる。

 「あいつは全く鼠とりにかかったいくらか艶っぽい若い牝鼠のように、忙しく飛び廻った」(『贋・久坂葉子伝』)

 そんな久坂を富士は一貫して高く評価した。その思いは死後ますます強くなっていく。

 「わたしは久坂葉子の短い生涯の中に、今の日本の若い女性の象徴を見出した。自分の生命を真に充実させたいと行動する若い勇敢な女性の一種の代表として、彼女は生き、作り、愛し、そして挫折して自殺したのだ」(『贋・久坂葉子伝』縁起)

 だからこそ早世を悔やんだ。ときにはヴァージニア・ウルフやスメドレーの名を揚げ、「体験や知性や気力の不足」によって志を中断せざるをえなかった人生を惜しんだ。

 茨木市立富士正晴記念館の中尾務さん(69)は、その思いの深さに「富士正晴」を見る。

 「物在人亡。物は残れど人は亡し、という言葉を富士さんは好んだ。久坂葉子の未熟さは十分に分かっておりながら、それを哀れとみてとり、形に残してやろうとする。その感性は、同人誌の無名性を大事にし、人をステップにしない誠実さを貫く人生に通じるのではないか」

 そこに多くの人は引かれたのだろうか。ものみな上昇志向にあおられた高度成長期、富士正晴は竹林に籠もろうとする。   =(7)に続く

▼同人誌 VIKING 公式ホームページ(外部サイト:http://viking1947.com/ )

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石野伸子 石野伸子 産経新聞特別記者兼編集委員。生活面記者として長らく大阪の衣食住を取材。生活実感にもとづき自分の足と感性で発見したホンネコラムをつづるのを信条としている。

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