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【「鬼筆」越後屋のトラ漫遊記】豪腕・藤浪どこへ…今岡の復活劇に学べ

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【プロ野球阪神対広島】1回、マウンドを降りる阪神先発の藤浪晋太郎=甲子園球場(森本幸一撮影)
【プロ野球阪神対広島】1回、マウンドを降りる阪神先発の藤浪晋太郎=甲子園球場(森本幸一撮影)

 藤浪も金本阪神も今岡誠(現=真訪、ロッテ二軍監督)の復活劇から何かを学べませんか-。藤浪晋太郎投手(24)は後半戦最初の登板だった26日の広島戦(甲子園)でわずか1/3回、2安打4四球の大乱調KO。これで今季は9試合登板で2勝3敗、防御率6・34という成績です。12年ドラフト会議で4球団が競合した豪腕が見る影もない有り様ですが、低迷→タイトル奪取を果たした先輩の復活劇に復肩への処方箋が隠されていないでしょうか。3年間の低迷から脱して首位打者や打点王に輝いた今岡誠の“V字軌道”に参考にするべき点があるはずです。

 見ている側が辛くなるようなマウンドの姿でしたね。チームが夏の長期ロードに旅立つ前の最後の試合。先発した藤浪が大乱調で試合をぶち壊しました。

 一回、先頭の田中にいきなり四球を与えると安部に中前打を浴びて無死一、三塁。丸にも四球で満塁。鈴木の遊ゴロの間に1失点。一死一、三塁から松山に四球。満塁から西川に左中間を破られ2点を追加され、続く岩本にもストレートの四球で満塁。ここで金本監督はたまらずベンチを立ちました。わずか1/3回で交代です。

 「ゲームの中でいろいろと試みたり、試したりした部分もあったんですけど、本当にどうしようもなかったです。チームに申し訳なかったです」 呆然(ぼうぜん)自失の藤浪はやっとのことで言葉を絞り出していました。試合開始直前に甲子園球場には激しい雨が降り、グラウンド整備などで1時間12分も待たされました。室内練習場で投球練習を行うなど必死で調整したのですが、リズムを取り戻せずにわずか18分でKO。 試合も初回の5失点が響き、3-9の大敗。首位・広島との3連戦に最低でも勝ち越しをもくろんだ阪神ベンチの思惑も藤浪の乱調が吹き飛ばしてしまいました。金本監督は試合後、「まあ見ての通り。マウンドの状態かって? それは本人に聞いて見てよ。俺は分からないから」と語り、今後の登板については「うーん、厳しいかもなぁ、ちょっと」と言葉を濁すしかありませんでした。

 金本監督ら首脳陣は試合後に藤浪の二軍降格を決めましたが、これで今季の成績は9試合に登板して2勝3敗、防御率6・34です。何度も二軍で再調整させていますが一向に状態が上向くこともなく、むしろ状態は悪化の一途をたどっているようにも思えますね。

 藤浪は2012年のドラフト会議で4球団から1位指名を受けました。競合の末に当時の和田豊監督が左手で交渉権獲得のクジを引き当てて阪神に入団。ルーキーイヤーの13年から10勝6敗、11勝8敗、14勝7敗と順調に勝ち星を積み上げてきました。ところが、金本監督が監督に就任した16年から7勝11敗、3勝5敗。そして今季が2勝3敗。大阪桐蔭高の3年時にはエースとして春夏連覇。そしてプロの最初の3年間は35勝21敗。あの豪腕・藤浪はどこに行ってしまったのでしょう。

 実は阪神には投手と打者との違いこそあれ、同じような軌道を描いた選手がいます。1996年のドラフト会議で阪神を逆指名して1位入団した今岡誠です。現在は真訪(まこと)と改名し、ロッテの二軍監督を務めていますが、彼もアマ時代はPL学園-東洋大で主砲として鳴らし、五輪にも日本代表として出場しました。そして、97年からの2年間は順調に成長を遂げていたのです。

 プロ2年目の成績は133試合に出場し、打率・293、本塁打7本、打点44。さあ、これからホップステップ…と思った矢先の99年、ヤクルト黄金時代を築いた野村克也監督が阪神監督に就任しました。そこからの3シーズン、今岡の成績はどん底でした。打撃成績は打率・252、本塁打6本、打点39(99年)、打率・212、本塁打1本、打点2(00年)、打率・268、本塁打4本、打点40(01年)。成長に急ブレーキがかかったのです。

 当時、阪神電鉄首脳は伸び悩み、結果の出せない今岡に対して、本社内で「クレペリン検査を受けさせたら…」という雑談までしていました。クレペリン検査とはドイツの精神医学者のクレペリンが考案したもので、連続加算作業による一種の性格検査です。作業結果から精神機能や性格を判定する検査法で、阪神電車の運転士に受けさせる場合もあるそうです。

 アマ時代から十分に能力があることが認められながら、それを発揮できなかった今岡に対するなぜ? どうして? という疑問が「クレペリン検査を…」という会話になったわけですね。

 しかし、今岡はその後覚醒します。監督が野村監督から星野仙一監督に交代した2002年以降、まさにV字回復して03年と05年にはチームのリーグ優勝に貢献したのです。

 02年以降の今岡の打撃成績です。打率・317で本塁打15本、打点56(02年)、打率・340の首位打者、本塁打12本で打点72(03年)、打率・306、本塁打28本、打点83(04年)、打率・279、本塁打29本、打点147でリーグ打点王(05年)でした。

 何が今岡を覚醒させたのか。それは星野監督の人心掌握術でした。野村監督時代は「手抜きプレーに見える」と守備の怠慢さを指摘され、「ゼブラ」という別称まで付けられていた今岡に対して闘将は「大きな目標設定とポジションを与え、本人の自覚を重視」しましたね。

 「このチームは必ず優勝できる。お前が先頭になって引っ張れ」と士気を鼓舞し、足が遅いにもかかわらず1番で起用。それに応えた今岡は03年に星野監督を胴上げし、05年には岡田彰布監督を胴上げしました。2人の監督と今岡の間には信頼関係があったのです。逆に野村監督との間には信頼の二文字はなく、精神的なマイナスの要素がグラウンドの成績に直結したのでした。

 どうでしょう。今の藤浪の状態はあの野村政権下の今岡に似ていませんか。あの当時の阪神電鉄首脳が現在いれば、きっと藤浪にも「クレペリン検査を…」なんて言い出すのかもしれません。

 復調の下地として、今岡には打撃の技術として完成されていたモノがあったとも言えます。藤浪が復活するには、やはり全力で投げた直球が自分の狙ったところにほぼ行くような制球力を身に付けなければなりません。春季キャンプのブルペンを見ていても、すぐに変化球を投げたがり、基本練習をおろそかにしていた面は否定できないでしょうね。本人自身は「技術的な問題で精神面の問題ではない」と言っているそうですね。感覚としては理解できているのでしょう。基本に立ち戻ることが肝要です。

 そして、復活の道標のひとつが「今岡誠」になるような気がします。大きな目標とポジションを与え、自覚を促す…。闘将・星野仙一が今岡に施した再生術が今の藤浪には必要ではないでしょうか。阪神球団や金本監督ら首脳陣にも考えてもらいたいものですね。二軍での再調整の連鎖からは何も生まれませんよ、きっと…。

植村徹也(うえむら・てつや) 植村徹也(うえむら・てつや)  1990(平成2)年入社。サンケイスポーツ記者として阪神担当一筋。運動部長、局次長、編集局長、サンスポ特別記者、サンスポ代表補佐を経て産経新聞特別記者。阪神・野村克也監督招聘(しようへい)、星野仙一監督招聘を連続スクープ。ラジオ大阪(OBC)の金曜日、午後10時から「NEWS TONIGHT いいおとな」( http://www.obc1314.co.jp/bangumi/iiotona/ )の『今日のトラコーナー』や土曜日午後6時45分からの「まさとと越後屋のスポーツ捕物帖」( http://www.obc1314.co.jp/bangumi/okini/ )、に出演中。「サンスポ・コースNAVI!」( http://www.sanspo.com/golf/tokushu/golf-t24944.html )ではゴルフ場紹介を掲載、デジタルでも好評配信中。

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