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【石野伸子の読み直し浪花女】竹林の隠者・富士正晴(4)開高健と新妻・牧羊子なごやか同人誌 久坂葉子追悼・合併で紛糾

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昭和28年1月1日。正月のあいさつに来た開高健(前列中央)とともに写る富士正晴(同右)
昭和28年1月1日。正月のあいさつに来た開高健(前列中央)とともに写る富士正晴(同右)

 昭和28(1953)年元日。富士正晴は満39歳の正月を、大阪・茨木市安威の自宅で両親や妻子とともに迎えた。

 家には、前の年の11月に新しく立ち上げたばかりの同人誌「VILLON」の同人、開高健が新婚の妻・牧羊子をともなって訪ねており、そのとき縁側で撮った写真が残っている。正月らしいなごやかな空気が流れている。

 富士は戦後、出版社勤務や中学校講師などを務めたが長続きせず、そのころは毎日新聞大阪本社の資料図書室の臨時雇いとなっていた(これも実際は2年ほどでやめている)。

 新聞社勤務のかたわら、開局したばかりの民放放送の教育番組や放送劇用の台本を書くようになり、周囲には新聞記者らが集まってきた。そこで「VIKING」( http://viking1947.com/ )の姉妹誌として立ち上げたのが「VILLON」で、まだ大学生だった開高健も参加していたのだ。開高は作品発表することはなかったが、例会にはよく参加した。新妻を伴って正月に自宅を訪ねるくらいだから、富士を慕っていたのだろう。

 のちに書いた自伝的小説「青い月曜日」の中に、ときおり富士らしき人物が顔を出す。

 まだ結婚前、年上の女・牧羊子が妊娠して学生だった開高は困惑しきりだった。その開高に向かって先輩作家がこう話す。

 「女はお化けやろ」

 「…ええ」

 「ソウハしろというたか?」

 「いいました」

 「承知したか」

 「しません」

 「もう自殺するとはいえへんやろ」

 「ひとこともいいません」

 「やられたんやで、おまえさんもナ」

 「私は重おもしい果実やというんです」

 「うまいこといいよるデ」

 青春の混乱期、世間智にたけた年長者として富士は登場する。同じ作中で開高は富士についてこうつぶやいている。

 「彼だけが私を傷つけなかった。彼のまえにすわっていると私は何も口をきかなくてもよかった。そのような時間のすごしかたのできる場所はほかのどこにもなかった」(『青い月曜日』)

 この大阪の新聞記者グループ「VILLON」(同人25人)と、神戸の学者を中心とした「VIKING」(当時の同人28人)とを合体させて、関西の一大文学拠点を作ろうという夢が富士にあったようだ。しかし、「VILLON」は1年半ほどで消滅することになる。

 その発端となる出来事が、起ころうとしていた。冒頭の写真に流れていた正月のなごやかな空気は、1通の電報で一変する。

 「クサカシススグ オイデ コウ」

 クサカとは「VIKING」「VILLON」両誌の同人となっていた若き作家、久坂葉子のこと。久坂は本名を川崎澄子といい、川崎造船所創立者・川崎正蔵に連なる神戸の名門出身の令嬢だった。作家志望の早熟の少女。18歳のとき、神戸で教師をしていた島尾敏雄の紹介で「VIKING」に入会し、翌年19歳の若さで「ドミノのお告げ」が芥川賞候補になった。マスコミでも注目の存在だった。

 しかし一方で、自殺願望が強く、精神不安定な少女でもあった。富士は知人に監視を頼むなどずっと気に掛けていたが結局、昭和27年の大みそか、夜9時すぎに阪急六甲駅で電車に飛び込み、命を断ったのだった。

 まだ21歳という若さ。

 その痛ましさを、冨士は生涯抱え込み、慰撫しようと動いた。

 久坂は死の直前、百枚に及ぶ遺書のような作品「幾度目かの最期」を書き上げていた。富士は彼女の作品を世に出そうと動く。

 まず「VIKING」と「VILLON」の共同による久坂追悼号を企画。久坂は、富士を除くと両誌の同人に名を連ねる唯一の人物でもあったのだ。

 しかし、追悼号発行と同時に両誌の合併話を持ち出したことから、「VIKING」は大紛糾する。結局、遺作「幾度目かの最期」を収録した合併号は3月に完成したが、「VIKING」は神戸の研究者らが集団離脱、新雑誌「くろおぺす」を発刊する事態となった。

 一方で、富士は遺族から久坂の原稿を預けられ、単行本による遺稿集出版の話も手伝うことになった。華やかな経歴を持つ久坂の自殺はさまざまな方面から注目されていた。

 しかし、事は富士の思い通りに進まない。   =(5)に続く

▼同人誌 VIKING 公式ホームページ(外部サイト:http://viking1947.com/ )

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石野伸子 石野伸子 産経新聞特別記者兼編集委員。生活面記者として長らく大阪の衣食住を取材。生活実感にもとづき自分の足と感性で発見したホンネコラムをつづるのを信条としている。

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