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【正木利和の審美眼を磨く】積もる雪、なまめかしい柔肌…白にこだわった巨匠の絵画の見方

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ユトリロ「ガブリエル酒場」
ユトリロ「ガブリエル酒場」

 ちかごろ、暑くて湿度も高いくせに、休日、黒い背広を着こんだ集団をよく見かける。

 胸元をみると白いネクタイ。

 なるほど、結婚式に参列する人々か…。

 ほんとうかどうかはよく知らないが、6月の花嫁は幸せになれるのだそうだ。

 ジューンブライド。

 この言葉があるかぎり、うっとうしい梅雨どきもブライダル産業にとっては稼ぎ時となるに違いない。

 さて、結婚式といえば、女性にとって一生一度の晴れ舞台(離婚率の上昇にともない、近ごろでは、数度の人も増えてきてるに違いないが)。新郎には悪いが、あくまで男は添え物。その場の主役は、間違いなく花嫁なのである。

 それで、結婚式に「白」のドレスを身につけるのは花嫁の特権。だから、ほかの女性たちが白い服装で式に参列するのはNGなのである。

 とまあ、そういうことを知ったのは、恥ずかしながら数年前に阪急電鉄今津線を舞台にした有川浩の小説、『阪急電車』を読んだときのこと。

 と同時に、そのときに改めて「白」という色の強さを認識したのだった。

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 不思議な色なのである。

 中国の山水画や日本画を見ていると、白の比重がきわめて重いものがある。それは、いわゆる余白的な白だ。といって、描かれていないにも関わらず、そこには何かが存在している。

 それは、海や湖であったり、雲であったり、霞や霧であったりする。滝を落ち、川を流れてゆく水や、山に積もった雪、光なども白で表現される。

 だいたい、東アジアの絵画は支持体である紙の白を生かすため、白い絵の具である胡粉(ごふん)を用いるよりも筆を省くことで、白という色を表現することが多い。

 一方、欧州の絵画には、余白を用いた白の表現という発想自体がないように思える。たとえば、日本を代表する洋画家、小磯良平の作品には、下部をあえて塗り残したものもあるが、欧米の人たちが見ると、きっと、未完の作品だと思うであろう。

 油彩画には、キャンバスの白をむきだしにする、という発想自体がないに違いない。

 だから、彼らにとっての白は、自らの筆で色づけをしたものなのであろう。

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 白は、無彩色であるがゆえに、画家の個性が出る色なのではないか。

 たとえば、大阪市中央区城見のギャルリーためなが大阪( http://tamenaga.com/ )で開催中の「ユトリロ ヴラマンク 荻須展」(24日まで。会期中無休。問い合わせ(電)06・6949・3434)のモーリス・ユトリロ(1883~1955年)とモーリス・ド・ヴラマンク(1876~1958年)の白を見比べてみるといい。

▼ Galerie Tamenaga (ギャルリーためなが)(外部サイト:http://tamenaga.com/ )

 ユトリロが描いた「ガブリエル酒場」の左の建物の白とヴラマンクの描いた「雪景色」の雪の白は決して同じ白ではない。

 ユトリロの描く建物の白壁は、そのなかに黄や藍などの色をさして陰影を表現し、タイトルとなっている右側の酒場よりも存在感を強めている。

 1912年の作だから、ちょうどアルコール中毒で塗炭の苦しみを味わっていた画家が、こんな風に少し薄汚れてはいるけれど明るい世の中を、まぶしく感じながら描いたのではないかとさえ思わせるのである。

 一方、同じ陰影のある白でも、ヴラマンクにはユトリロほどの屈託はない。

 自然の雪を、これが雪だと描いている。白は白のまま厚塗りすることで存在感を強調するのである。

 歌人、若山牧水の著名な和歌「白鳥(しらとり)は 哀(かな)しからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ」にうたわれたようなにごりをしらない白は、原色の強さと激しいタッチのフォービズム(野獣派)の画家の面目躍如といっていい。

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 白には無垢(むく)で純粋というイメージがあるが、その白をなまめかしい色にした画家がいる。

 藤田嗣治(1886~1968年)である。

 藤田は、独特の乳白色をつくりだし、そのとろりとした色で裸婦の肌合いを表現したのだった。

 没後50年。ことしは、藤田の大きな回顧展が東京と京都で予定されている。

 きっと、そこで藤田の乳白色も目にするに違いない。

 そう、微妙なニュアンスを表現する白もあれば、絶対的な色彩であることを訴えかけてくる白もある。

 「白」にこだわって巨匠たちの展覧会を見ると、また違った美の世界に出合えるはずである。

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正木利和 正木利和 産経新聞文化部編集委員。入社は、いまはなき大阪新聞。産経新聞に異動となって社会部に配属。その後、運動部、文化部と渡り歩く。社会人になって30年強になるが、勤務地は大阪本社を離れたことがない。その間、薄給をやりくりしながら、書画骨董から洋服や靴、万年筆に時計など、自分のメガネにかなったものを集めてきた。本欄は、さまざまな「モノ」にまつわるエピソード(うんちく)を中心に、「美」とは何かを考えながら、つづっていこうと思っている。乞うご期待。

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