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【山上直子の誘惑する京都】ブラタモリおなじみ…宇治茶、秀吉も利休も魅力とりこ 宇治・上林記念館

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上林(かんばやし)記念館に隣接する直営店の呈茶席では、季節の抹茶と菓子が楽しめる=京都府宇治市
上林(かんばやし)記念館に隣接する直営店の呈茶席では、季節の抹茶と菓子が楽しめる=京都府宇治市

 もえぎ色にひわ色、若葉色。山々の新緑のグラデーションが美しいこの時期、あちこちに「新茶」の看板が掲げられ、その歴史と文化を実感する。宇治といえば茶、茶といえば宇治。NHK番組「ブラタモリ」でも紹介されるなど観光客でにぎわう町に、老舗、上林春松(かんばやししゅんしょう)の記念館「宇治・上林記念館」( https://www.shunsho.co.jp/facilities/ )をたずねた。

■秀吉も利休も

 まずは立派な門構えに驚いた。江戸時代、将軍家御用を努めた「御茶師」独特の建築で「長屋門」というそうだ。

 「当家の歴史はずっと、宇治茶とともにあります」と笑顔で迎えてくれたのは、館長で約450年続く上林家の十四代当主、上林春松さん。丹波(現在の綾部市)の土豪だった初代久重が、永禄年間(1558~1570年)に宇治に移住したのが始まりという。

 同館では、昔の製茶道具や絵図、幕府や大名に茶を運んだ茶壺(ルソン壺)、ゆかりの茶道具などを展示。さすがというか、豊臣秀吉の朱印状や千利休の名が記された秀吉の茶会記、利休の高弟で安土桃山時代の茶人・古田織部からの手紙などもあった。

 「これは秀吉が2代久茂にあてた書状。内容はおしかりと激励といったところでしょうか」と苦笑する上林さん。茶の品質はいいのに茶壺の詰め方が雑だ、とユーモアを交えて秀吉が叱咤(しった)したものだそうだ。

 さらに家康も宇治茶を好み、江戸時代は徳川将軍家にも重用された。初代の母親が作った茶を家康が「ばばちゃ」と呼んで愛したことから、銘「祖母昔(ばばむかし)」は上林家のみに許されたという。今も店頭に並ぶ由緒ある濃茶だ。

■うまみ多く

 「茶を宇治に伝えたのは栂尾(とがのお)高山寺の明恵(みょうえ)上人ですが、鎌倉時代は栂尾産の茶が最高とされていました。宇治茶を好み、その名を天下に広めたのは室町3代将軍の足利義満です」

 宇治は水に恵まれた土地で、水運も茶の流通に好都合だった。また4月に新芽が出てから摘むまでにしばしばあった霜の被害を防ぐため、茶園全体をよしずやわらで覆う「覆下(おおいした)栽培」が始まる。

 「宇治茶独特の栽培で、室町時代には確立していたようです。本来は霜よけですが、直射日光を避けることでタンニン(渋み)が少なく、うまみ成分が多くなるんです」(上林さん)

 江戸時代は、幕府御用の制度「宇治御茶師」のもと、上林家は朝廷や将軍家御用の「御物(ごもつ)茶師」として、また尾張徳川家や阿波蜂須賀家のお抱え茶師として活躍した。

■伝統と革新と

 ところが明治維新後は、幕府や大名という顧客を失い、宇治も多くの茶師が廃業に追い込まれる。当時、上林家の十一代当主はまだ20歳代と若く、販路を縁故のある徳島や淡路へと積極的に広げて一般消費者への商売に活路を見いだした。

 「若かったからこそ従来の考えにとらわれず、挑戦できたのでしょう」

 そんな上林さんも百貨店への出店に挑戦。長男の上林秀敏社長はペットボトル緑茶「綾鷹」開発に協力している。挑戦なくして、事業の維持・発展はないのかもしれない。

 とはいえ時代の変化はあっても、日本人が最も好きな飲み物はやはり「お茶」。抹茶、玉露、煎茶など茶の種類は多く、それぞれに適した入れ方、楽しみ方がある。この夏は宇治で茶を学び、茶に親しむ…そんな旅も悪くない。

【宇治・上林(かんばやし)記念館】https://www.shunsho.co.jp/facilities/

▼宇治・上林記念館(外部サイト:https://www.shunsho.co.jp/facilities/ )

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山上直子(やまがみ・なおこ) 山上直子(やまがみ・なおこ) 産経新聞大阪特派員兼編集委員兼論説委員。平成3年入社、大阪新聞経済部、産経新聞京都総局、文化部を経て現在に至る。京都出身、大阪育ち、現在は京都在住。歴史と文化、グルメ、グッズ、その他もろもろ詰め込んで、「魅力と魔力に満ちた京都」をご案内。

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