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【正木利和の審美眼を磨く】まなざしは何を語る 日本画家・広田多津の描く舞妓

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広田多津「舞妓」。黒い瞳がしっかり描き込まれている
広田多津「舞妓」。黒い瞳がしっかり描き込まれている

 むかし、カラオケボックスで歌っている女性をじっとながめていたら、マイクを置いたその女性から「視線が気になってしかたがなかった」といわれたことがある。

 なんてこった、である。

 楽しそうに歌ってるなあ、とうらやましく思いながら見ていたのだが、まさかそれが非難されるようなことになってしまうとは…。

 観察するのは、記者という職業柄、習性みたいなものではないか。

 え? それでも、いやらしいものはいやらしい?

 自分のまなざしは、自分では決してわからない。

 俗に、目は口ほどにものをいい、などともいわれる。

 いまとなっては確かめようもないが、そのとき彼女は筆者のまなざしが何かおかしなことを語っているように見えていたのだろうか…。

   ■    ■

 まなざしといえば、舞妓(まいこ)と裸婦を題材に豊穣(ほうじょう)な女性像を描き続けた、京都出身の日本画家、広田多津(ひろた・たつ=1904~90年)の作品を思い出す。

 小さなころから絵を描くことが好きだった麻織物商の次女、広田は小学校を卒業すると日本画家の三木翠山のもとに書生として住み込むが、やがて翠山の美人画にあきたらなくなると、今度は甲斐庄楠音(かいのしょう・ただおと)のもとで美術全般を学んだ。

 20歳で竹内栖鳳(たけうち・せいほう)門下に入り、上村松園(うえむら・しょうえん)や土田麦僊(つちだ・ばくせん)らをメンバーとする竹杖会でもまれたのち、同会の解散にともなって西山翠嶂(にしやま・すいしょう)の塾に入り、32歳のときに文展で初入選を果たす。

 36歳で日本画家の向井久万(むかい・くま)と結婚、戦前から戦後にかけて新文展、日展で活躍したが、44歳のときに上村松篁(うえむら・しょうこう)、秋野不矩(あきの・ふく)らと創造美術協会結成に参加、官展から離れ、裸婦を積極的に描くようになった。

 洋画の画題と思われてきた裸婦を日本画に取り入れたのは、やはり終戦直後という時代背景があったのだろう。それは、日本画という枠のなかで、いかにボリュームというものを表現すればよいかという試みであり、洋画と肩を並べてゆくための挑戦でもあった。

 その広田が裸婦の制作を中断、舞妓を題材にし始めたのは56歳で向井と離婚してから。このとき絵筆一筋に進む決意をしたのだという。

 しかし、どういうわけか、彼女はまなざしを読み取ることができない舞妓を描いた。

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 目がはっきり描かれない舞妓は村上華岳(むらかみ・かがく)も作品として残している。華岳の場合は、つぶったように描いているのだが、それはまるで宴席のなかで舞う舞妓の陶酔感を表現しているようにも思える。

 一方の広田のほうの舞妓は、うつむきがちで、どこか自己の内面を見つめているような哀(かな)しみの色がのぞく。

 それは男の描く舞妓と女の描く舞妓の違いといってもいい。

 華岳にとっての職業としての舞妓は、広田によって人間としての舞妓に置き換えられている。

 ところが、自身の古希を前にして、彼女の描く舞妓も変わってゆく。

 1970年代半ばから、広田の舞妓にははっきりと黒い瞳が描かれ始めるのである。

 それと同時に、舞妓たちからは恥じらいや媚(こ)びが消え去り、かわって健康ではつらつとした、たくましい舞妓像が登場する。

 それは華岳や麦僊が描いた少女っぽい舞妓とは異なる、広田が独自に生み出した、現代に生きる生身の娘たちの舞妓の姿といってもいい。

 少しツンと上を向いた鼻、肉感的な唇。退廃的な雰囲気などみじんもまとうことなく、健康的で少々いけずそうな若い女たち…。

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 離婚後、制作活動一筋に取り組んだ広田は、その作品が64歳のときに文化庁買い上げとなり、その後も73歳で京都日本画専門学校の校長に就任、さらにその翌年には京都府・市の文化功労賞を受賞するなど、着実に画家としてキャリアを積み上げていく。

 うつむいていた舞妓が、その顔をあげ、そしてつぶったような目に黒い瞳が描かれるようになってゆく過程は、まさに日本画家、広田多津が自信を積み上げながら成長してゆく道のりと重なっているのである。

 そう、目は口ほどにものをいい、というのは、絵画も同様。

 だから、自信を失いかけたときには広田の描いた舞妓の顔を思い出す。

 すると、不思議なことに少し元気が出てくる。

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正木利和 正木利和 産経新聞文化部編集委員。入社は、いまはなき大阪新聞。産経新聞に異動となって社会部に配属。その後、運動部、文化部と渡り歩く。社会人になって30年強になるが、勤務地は大阪本社を離れたことがない。その間、薄給をやりくりしながら、書画骨董から洋服や靴、万年筆に時計など、自分のメガネにかなったものを集めてきた。本欄は、さまざまな「モノ」にまつわるエピソード(うんちく)を中心に、「美」とは何かを考えながら、つづっていこうと思っている。乞うご期待。

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