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【鬼筆のスポ魂】「西武の先輩」に恩返しを…松坂に救いの手 森監督は「やり尽くすまでやればいい」

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阪神・上本博紀から三振を奪いガッツポーズをする中日・松坂大輔=ナゴヤドーム(撮影・森本幸一)
阪神・上本博紀から三振を奪いガッツポーズをする中日・松坂大輔=ナゴヤドーム(撮影・森本幸一)

 人との絆が人生を歩む上での大きな力になる。マウンド上の中日・松坂大輔投手(37)の姿を見て、改めて痛感させられた。松坂は19日の阪神戦(ナゴヤドーム)で7回123球を投げ、4安打2失点で2敗目を喫したが、変化球を内外角に巧みに投げ分ける熟練した投球術を見せた。中日移籍後2度目の登板で、前回(5日)の巨人戦(同)の5回96球、8安打3失点を上回る内容だ。

 「感触も何もない。連敗(中日はその日の敗戦で5連敗)を止めたかった。素晴らしいとも思わない」。敗戦後の松坂はそっけなく答えたが、森繁和監督は「ゲームを作ってくれた。あす、あさっての(右肩の)状態を見た上で次を考える」と話し、中10日で30日のDeNA戦(同)に先発登板させることを示唆した。

 2011年6月の右肘のトミー・ジョン手術から球速が下がり、ソフトバンク在籍時の15年8月、右肩関節唇の手術を受けて以降はさらに落ちた。ソフトバンクとは15年から3年総額12億円プラス出来高(金額は推定)の巨額契約を締結したが、1軍公式戦登板はわずか1試合。昨年オフには球団側から育成選手契約かコーチ契約を結んだ上でのリハビリ継続を打診されたが、それを拒否した。新天地を探す松坂に救いの手を差し伸べたのは、西武時代の松坂をコーチとして知る森監督。形式上は入団テストの結果次第だったが、非公開テストの結果は即日合格。森監督はこう言った。

 「やり尽くすまでやればいい」

 阪神戦では中盤に何度もピンチが訪れた。六回で100球を超えていたが七回も続投。「少しつっているような感覚になった」と左足を引きずるようなシーンもあった。心配した朝倉健太投手コーチがトレーナーを引き連れてベンチから飛び出すと、マウンド上から追い返すようなポーズ。最後は2死満塁のピンチで代打・上本から空振り三振を奪い、ナゴヤドームの興奮は最高潮に達した。

 怪物の異名をほしいままにした横浜高時代、そして西武のエースとして君臨した時代を経て、夢を追ってメジャーに挑戦した。レッドソックスに入団した07年から最初の2年は15勝12敗、18勝3敗と結果を残したが、そこから故障禍に…。8年間のメジャー生活に別れを告げて日本球界に戻ってきた松坂の右肩や肘は、もはやかつての怪物ではなかった。

 それでも、最初に助け船を出したのはソフトバンクの工藤公康監督だった。松坂の西武在籍中はダイエー(現ソフトバンク)や巨人にいたが、西武の後輩に日本球界復帰の道を切り開いた。再三の故障で投げられない松坂には、チーム内外から批判の声が渦巻いた。それでも、復活する日を黙って待ち続けた。3年契約満了後も、復活を手助けしようとした。そして、次に現れたのが中日の森監督。松坂が自分で納得するまで現役生活を続けられるように舞台を用意した。

 松坂世代-。同学年の選手たち、特に投手を中心にした総称として、そう呼ばれている。日本の球界に燦(さん)然(ぜん)とした記録と記憶を刻んだ投手は今年の9月13日で38歳を迎える。

 松坂にはこれからどんな道程が待っているだろうか。ただ、ひとつ言い切れるのは、先輩たちの温かい気持ちが足元を照らし続けてくれている…ということ。恩に報いるのは新しい投球スタイルを完成させ、チームに貢献することしかないはずだ。   (特別記者 植村徹也)

     ◇

【プロフィル】植村徹也 1990(平成2)年入社。サンケイスポーツ記者として阪神担当一筋。運動部長、局次長、編集局長、サンスポ特別記者、サンスポ代表補佐を経て産経新聞特別記者。阪神・野村克也監督招聘(しようへい)、星野仙一監督招聘を連続スクープ。ラジオ大阪(OBC)の金曜日、午後10時から「NEWS TONIGHT いいおとな」(http://www.obc1314.co.jp/bangumi/iiotona/)の『今日のトラコーナー』や、土曜日午後6時45分からの「まさとと越後屋のスポーツ捕物帖」(http://www.obc1314.co.jp/bangumi/okini/ )に出演中。「サンスポ・コースNAVI!」(http://www.sanspo.com/golf/tokushu/golf-t24944.html)ではゴルフ場紹介を掲載、デジタルでも好評配信中。

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