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【JR脱線13年】あの日感じた無力感「自分に何が…」駆けつけた看護師、答え求め災害医療の道へ

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自然災害

あの日感じた無力感「自分に何が…」駆けつけた看護師、答え求め災害医療の道へ

JR脱線13年更新
災害派遣医療チーム(DMAT)事務局に勤務する千島佳也子さん。DMAT研修の準備を進める=10日、東京都立川市 1/2枚

 あの日感じた無力感が、災害医療の道に導いた。乗客106人が死亡、負傷者562人にのぼった平成17年のJR福知山線脱線事故は、兵庫医科大病院(兵庫県西宮市)の看護師として救護に当たった千島佳也子さん(38)の人生も一変させた。「自分に何ができたのか」。自問自答の末、現在は厚生労働省の災害派遣医療チーム(日本DMAT)事務局(東京都立川市)に勤務。今も、答えを探し続けている。(山田太一)

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想像を絶する光景

 「あの時、私がそこにいた意味って何だったのだろう…?」

 看護師のコミュニティーサイト「看護roo!」で、看護師の仕事ぶりを紹介する連載漫画に今年2~3月、千島さんのエピソードが4回にわたって紹介された。第2回は脱線事故の場面。現場で看護活動に加わった千島さんの苦悩が記されている。

 あの日は夜勤明けだった。帰宅直前の午前9時20分ごろ、入った一報は「電車に車が接触した」という内容。負傷者多数という情報もあって医師ら4人で現場に向かうと、想像を絶する光景が広がっていた。

 救出に当たる消防隊員の怒号、ブルーシートに横たわる遺体や負傷者…。病院で多くの遺体を見てきたが、屋外に横たわる遺体を見たのは初めてだった。遺体を撮影する報道関係者に「やめてください」と制止し、言い合いになった。

無残に崩れた自信

 先頭車両の負傷者らの治療の優先順位を決める「トリアージ」を担当した。しかし、つぶれた車両から出てくる乗客に付けたのは、助かる見込みがないことを意味する「黒タグ」ばかり。無力感を抱いたまま午後6時ごろ病院に戻った。

 当時は、看護師になって6年目。「看護師としてある程度のことはできる」と思っていた自信は無残にも崩れ、「自分がすべきことは何だったのか」という思いが消えなかった。「勉強しよう」。それまで興味のなかった災害看護と救急看護に目が向いた。

 事故から半年後の17年秋、DMATの研修に参加。19年7月には救急看護の技術と知識が必要な認定看護師の資格も取った。DMAT隊員として東日本大震災の被災地にも行き、避難所の救護所で負傷者の治療に当たるなどした。

熊本地震にも対応

 さまざまな災害現場に行くうちに「災害現場全体を見通したい」と感じるようになり26年、DMAT事務局に転職した。28年の熊本地震直後には熊本県庁に入り、県内の病院の被害状況や機能状態を見極めながら消防隊員や行政職員らの配置を差配した。

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  • 漫画で描かれているJR福知山線脱線事故 漫画・明(C)看護roo!