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【石野伸子の読み直し浪花女】梶井基次郎「檸檬の伝説」(4)人妻こじらせ愛…アラサー美女作家の宇野千代、そして年下の売れぬ作家

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昭和2年、湯ヶ島で作家仲間と写る宇野千代(右から2番目)。梶井の姿はここにはない(日本近代文学館提供)
昭和2年、湯ヶ島で作家仲間と写る宇野千代(右から2番目)。梶井の姿はここにはない(日本近代文学館提供)

 梶井基次郎(かじい・もとじろう)と宇野千代(うの・ちよ)が出会ったのは昭和2(1927)年の初夏、伊豆の温泉地・湯ヶ島だった。

 基次郎26歳。千代30歳。梶井は東京帝大在学中の無名の文学青年。かたや千代は注目の新進女流作家。コケティッシュな魅力にあふれ、当時は尾崎士郎の妻で、その後も80代で書いたベストセラー「生きて行く私」にあるように奔放な男性遍歴を続けた作家だ。一見不釣り合いに見える2人の恋はどのようなものだったのか。

 宇野千代は山口県岩国市の出身。代用教員などをへて上京、文士が集まる西洋料理店で女給をつとめ、菊池寛や今東光、滝田樗陰と知り合った。同郷のいとこで東京帝大生だった藤村忠と結婚、夫の仕事の関係で北海道に渡る。そこで小説を書き始め、「時事新報」の懸賞短編小説に応募して一等に当選した。大正10(1921)年のことだ。

 次回作をかつて知り合った「中央公論」の滝田に送付。同時に上京し尾崎士郎に出会う。「ながい間、意識することもなしに過して来た渇望のようなものが、ふいに、堰を切って、溢れ出すような錯覚に襲われ」、会ったその日に尾崎と同棲(どうせい)生活に入る。以後、千代の人生は自分の思いに忠実に突き進むことになる。

 大正11年12月、千代と藤村との協議離婚が成立。千代と尾崎は正式な夫婦となり東京郊外の駒込村に移り住んだ。しかし、2人の関係は微妙だった。尾崎も千代と同じ「時事新報」の懸賞小説で2位になったことをきっかけに作家の道を歩み始めたのだが、ひと足早く売れっ子作家となった千代に比して、尾崎はまだまだ売れない作家のままだった。

 家の中に2人の作家がいる。当時の不安定な夫婦関係を、尾崎はいくつかの作品に書いている。

 そのころ、尾崎は川端康成と親交を結んでいた。尾崎の作品を川端がほめたのがきっかけだが、その川端から滞在中の湯ヶ島の湯本館への招待を受けた。尾崎は何度か現地を訪れ、作品も書いている。そんな折、妻の千代をともなったこともあったらしい。千代も湯ヶ島が気に入り、単独でも何度か訪れた。

 梶井と千代とはそうして湯ヶ島で出会った。梶井はなぜ湯ヶ島にいたか。これも実は川端康成の縁。

 梶井は持病の結核をますますこじらせ、周囲のすすめで転地療養に出た。東京帝大に入って同人誌をつくり、「檸檬」(レモン)を発表するなど作家への道を歩み出したものの思わしい反応はなく、尊敬する川端がいると知り湯ヶ島に来たのだった。川端の紹介で湯本館に近い宿を紹介してもらっている。

 梶井はしょっちゅう、川端のいる湯本館を訪ねる。川端の周辺には文士が数多く出入りしていた。千代もその一人といえる。川端の」紹介で初めて会った梶井を、宇野千代は「骨っぽい印象の精悍(せいかん)な若者だった」(「私の文学的回想記」)と書いている。「よく墓次郎と間違えて書く奴があるんです」などと言って笑わせ、2人は親しくなった。

 梶井は周囲の目に明らかなほど千代に夢中になった。

 そのころ、千代と尾崎の夫婦仲は冷め切っている。夫が東京に帰ってもそのまま湯ヶ島に滞在する千代の宿を、梶井は頻繁に訪ねては夜遅くまで話し込んだ。なかなか帰らないため、湯本館の仲居たちは、ほうきを逆さにして物陰に立てかけ早く帰るようまじないを仕掛けるが、梶井は知らん顔。

 一方の人妻千代も、梶井の宿をたずねていく。そして、机ひとつの殺風景な部屋で意外なものを発見する。ナポレオンも愛用したというフランスの香水瓶だ。

 「梶井がウビガンの香水を持っている。それがどんなに、人の眼にはある得べくもないことのように思われたとしても、私には、いかにも梶井が持っているらしいもの、と思われた。梶井は肺結核の第三期である。而(しか)も見るからに無骨な風貌をした、浮世の凡(あら)ゆる風流を、拒否したように見えたのに、真の気持ちはその逆である。この梶井の切っ端詰まった悲愴な思いが、私には眼に見るように分かるのであった」(「生きて行く私」)

 これは恋か、哀れみか、あるいは作家の業か。

 美しいものを人一倍愛し、それを自分のものにできない焦燥感に身もだえする、「檸檬」の梶井基次郎を宇野千代はひと目で見抜いたのだ。

 やがて2人の関係は周囲の噂になる。   =(5)に続く

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石野伸子 石野伸子 産経新聞特別記者兼編集委員。生活面記者として長らく大阪の衣食住を取材。生活実感にもとづき自分の足と感性で発見したホンネコラムをつづるのを信条としている。

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