PR

【石野伸子の読み直し浪花女】梶井基次郎「檸檬の伝説」(3)桜の樹の下には“肉食系”宇野千代が… 志賀直哉にかわる小説の神様

PR

死後習作や書簡を集めて何度か全集が編まれた。底本となった昭和34(1959)年刊の筑摩版
死後習作や書簡を集めて何度か全集が編まれた。底本となった昭和34(1959)年刊の筑摩版

 わずか20編の短編しか残さなかった梶井基次郎だが、その後、梶井について書かれた評論や論考、エッセイは千数百編にのぼる、と国際日本文化研究センター名誉教授の鈴木貞美さんはいう。

 とりわけ代表作「檸檬」(レモン)については論考が重ねられた。鈴木さんはそれらを「梶井基次郎『檸檬』作品論集」(クレス出版・2002年)として1冊の本にまとめているが、中から代表的な論評だけでも、以下のような具合になる。

 日沼倫太郎「いわゆる第三の新人の作風をめぐる論議から、彼等が尊重する梶井基次郎に対する論争が起き、そこに着目した」

 山本健吉「戦時下に書かれた批評の内容を凝縮、(松尾)芭蕉の精神との類似性を指摘」

 加藤周一「社会的価値と芸術的価値のちがいを明確に示す例として檸檬をあげる」

 須藤松雄「志賀直哉と比較しつつ、梶井の自然観の特質を追究」

 加藤典洋「ほぼ同世代に生きた小林秀雄、梶井、中原中也をそれぞれの文学の新しさと古さのちがいから論評」

 海野弘「檸檬をモダン都市文学のひとつとして論じる」

 内田照子「多くの戦後文学者の証言から梶井の影響の大きさを説く」

 実にさまざまな視点から論じられていることに改めて驚かされる。鈴木さんは近代以降の日本人の精神を、主に文学作品からひもときたいとの思いから、梶井基次郎に関する論評に注目してきた。昭和7(1932)年に亡くなった梶井は戦前、戦後の激変期を乗り越えて一大ブームを巻き起こしているからだ。

 「戦前は息苦しい時代の息抜きとして、戦後は敗戦後の価値観転換の中で志賀直哉にかわる小説の神様として読まれました」と分析する。

 とりわけ戦後、第三の新人と呼ばれた吉行淳之介や庄野潤三らが文章の模範として崇拝したことも興味深い。

 「時代によって私小説的すぎると批判されたり、あるいは実存主義がはやるとそれだと語られたり。梶井の文学はさまざまに読み解かれました。それらは時に的外れなときもあったけれど、いずれも常に時代精神を反射している。だからこそ梶井は戦後の文芸批評の影の主役といえる」と鈴木さんは解説する。

 さて梶井作品の魅力は何だろう。鈴木さんは「誰にもまねできない冒険的文体。これが一番ではないか」とみる。

 梶井の文章は一作一作、推敲(すいこう)を重ね、冒険をする。

 例えば「檸檬」。梶井は「青空」創刊号のために文章を書いていたが完成せず、とりあえず「檸檬挿話」に関する部分だけを取り出し、掲載した。これが世に知られる「檸檬」。実際には長い文章の一部分で、没後、遺稿を整理していた友人の淀野隆三が発見し、草稿に編集を加えて「瀬山の話」と題して発表し、全集などに収録されている。

 このいわば未完の作品をみると、いかに梶井が文章を推敲し、全体に工夫を凝らそうとしたのが見てとれる。

 また動物や昆虫をながめるナイーブな感受性が光る「城のある町にて」では、ツクツクホウシの鳴き声を「文法の語尾変化をやつてゐるやうだな」と書く独特の感性。またときには、咳き込む姿を「まるでものを云ふたび口から蛙が跳(とび)出すグリムお伽話の娘のやう」(「冬の日」)と書くユーモア。

 ちょっと一般的には分かりにくい表現も憶せず使う。それが、「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」(「桜の樹の下には」)といったそれまで誰にも言い得なかった、しかし、誰の心にも深く突き刺さる一節を生み出す。

 それは、梶井基次郎が一般誌に文章を書くことがなかったことと密接に関係している。一般誌ではプロの編集者の目があり、その分、既存の価値観にさらされる。それがなかった分、独特な部分が残されたともいえるのだ。

 そのピュアな精神に心を揺さぶられた女性がいた。それが新進気鋭の女性作家として注目されていた宇野千代だ。   =(4)に続く

▼そのほかの「ベテラン記者コラム」を読む 

石野伸子 石野伸子 産経新聞特別記者兼編集委員。生活面記者として長らく大阪の衣食住を取材。生活実感にもとづき自分の足と感性で発見したホンネコラムをつづるのを信条としている。

この記事を共有する

関連ニュース

おすすめ情報