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【正木利和のスポカル】どろどろの女性関係から学んだ恋愛学のテキスト、東郷青児の文筆選集「戀愛譚」のおもしろさ

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東郷青児の文筆選集「戀愛譚」
東郷青児の文筆選集「戀愛譚」

 読後に感想文を書かねばならない、という苦痛がともなうせいで、夏休みの課題図書を読むのがつらくてしかたなかった。おとなになったいまも、仕事で渡される本は、往々にしてページをくる手が鈍る。

 あべのハルカス美術館で開催の「生誕120年 東郷青児展-夢と現(うつつ)の女たち」(大阪市阿倍野区、4月15日まで https://www.aham.jp/exhibition/future/togoseiji120th/ )の記事を書く参考に、と手渡された「戀愛譚 東郷青児文筆選集」も、しばらくおっぽっていた。

▼あべのハルカス美術館「生誕120年 東郷青児展-夢と現(うつつ)の女たち」展の紹介ページ(外部サイト:https://www.aham.jp/exhibition/future/togoseiji120th/ )

 そもそもタイトルの「恋」が旧字体。おまけに「譚」という言葉の古いこと。東郷の絵がいまや時代遅れに映ってしまうように、当方の食指も動かなかった。もちろん、画家の手すさびのような本がおもしろいはずがない、とタカをくくっていたのである。

 ところが、東郷という人物を学ぶにつけ、机の上に置きっぱなしの本が気になってきたのだった。

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 ご存じのとおり、東郷青児(1897~1978年)は若くして二科賞を取るという快挙で画壇にさっそうと登場、渡欧して時代の最先端の美術を学び、帰国後は大衆消費社会到来の波に乗って独特の叙情をただよわせる美人画を描き人気を博した洋画家である。

 その画業に加え、さまざまな女性関係の醜聞が、彼の名を世間に広めることに大きく寄与したことも、疑いのない事実であろう。

 23歳で最初の妻と結婚するが、7年に渡る渡欧生活を終えて帰国後すぐに一回りも年下の女性と恋に落ちてしまう。ところが、その年下女性からの別れの手紙を受け取ると、突如、別の女性と挙式。しかし、前妻の籍が抜けていないことを知ったその女性は、東郷の前から失踪する。

 直後に事件が起こる。件(くだん)の一回り年下女性との心中未遂である。東郷の自宅でふたりは頸(けい)動脈を切り、ガスを放ったのだった。幸い、発見が早くともに命をとりとめたが、このスキャンダルは世間をにぎわすに十分だった。

 それでも色恋沙汰が終わらないのが東郷のすごいところ。今度はこうした一連の事情を取材にきた小説家の宇野千代と恋仲になって同棲(どうせい)を始めてしまう。その千代と別れ、心中未遂した女性を入籍したのが42歳の年…。

 なんともすごい「艶福家」である。

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 そんなこんなで手に取った「戀愛譚」は「東郷青児 蒼の詩 永遠の乙女たち」の著書もあるライターの野崎泉さんが、東郷の生誕120年を記念し、彼の文筆作品を選んで編集したものを、創元社から出版した図書だそうだ。

 もともと、東郷はコントラバス奏者の原田潤の紹介で作曲家の山田耕筰と親しくなったことなどから音楽に対する興味をもっていたことが知られており、「コントラバスを弾く」などの作品のモチーフとなった。

 文章への関心も高かったようで、同書の野崎さんの解説を読むと、滞欧生活を終えて帰国した30代初めからフランス文学の翻訳を手がけたのちに、小説や雑文を書き始め、生涯に10冊ほどの散文集を出した、とある。

 ページをくってみると、なるほどうまい書き手である。「女」という生き物を「男」の目でじっと見つめ、ときにおしゃれに、ときにいやらしいほど色っぽく描き出す。

 《美しい女のひとを美しい枠の中に置いて、美しくすることが男の義務でもある。》「東京の女」

 きざったらしいが、理想の女性像を追い続けた画家の思いが表れている。

 また、女の生態をこまかに解剖した以下の表現は、女性に苦労した東郷ならではのものに違いない。

 《初心のモデルが一週間ポーズすればメー・ウェスト(米国の肉体派女優)になる。》「春とモデル」

 《唇にほくろのある女は恋愛に幸運ださうだ。私は身近にゐる一人の少女にその幸運な記号を発見した。》「少女三題」

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 小説風の短編も、切れ味がある。

 町でひろった16歳の娘の話をまとめた「窓から飛下りた薔薇」は、その娘がかかわった男がホテルで飛び降り自殺する話である。高級ホテルでごちそうしてくれた男から、何でもほしいものをあげる、といわれた娘がバラの花がほしいというと、男は「それならビルの下で待っておいで、おれの部屋から投げてやる」と階段を駆け上がる。しかし、ビルの7階から降ってきたものはバラの花ではなく、その男だった。

 「きつとばらの花が無かつたもんだから、自分でばらの花になったのだろう」 娘をベッドに寝かせながら語る「私」の言葉には、いかにも画家らしい美的な感性が光る。

 竹久夢二のもとで下絵描きをしていた若き日、好きになった女性とのことを書いた「夢二の家」もいい。お互いに好きなのに、意地を張り、思いを伝えられないもどかしさ。最後に思いを知らされるが結局、彼女はほかの男のもとに嫁ぐ。「私」はその後もこの女性を気にし、房総の海岸で穏やかに暮らしていると人づてに聞くのである。

 年を経た思い出は切なさをかきたて、最後の一文《眼の大きな、黒髪の美しい人だった。》が、余韻を残す。

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 ともに、欧州で暮らしたことがあるせいだろう、ちょっとスノッブな東郷の随筆は、映画監督で俳優で文筆家でもあった伊丹十三(1933~97年)の文章を思わせるところもあるが、「義手義足空気人形」や「マネキンに惚れる」などは、彼独自のフェティシズム的な精神構造も浮かんでくる。

 この本を読んで、東郷作品をもう一度見直すと、磁器のようななめらかな肌をもち、憂いをふくんだ甘美でおしゃれな人形を思わせる「青児美人」が再びみずみずしく見えてくるから不思議だ。

▼あべのハルカス美術館「生誕120年 東郷青児展-夢と現(うつつ)の女たち」展の紹介ページ(外部サイト:https://www.aham.jp/exhibition/future/togoseiji120th/ )

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正木利和 正木利和 産経新聞文化部編集委員。大阪新聞から産経新聞社会部、運動部、部長を経て現職。運動部歴25年目となった秋、念願かなって美術担当に。好きなものは以下の通り。富岡鉄斎の絵、ジャランスリワヤの靴、よく墨のおりる端渓硯(たんけいけん)、勇敢なボクサー、寡黙な長距離走者、「水曜どうでしょう」について語り合うこと。当コラムは、スポーツの話題にときどきカルチャーを織り交ぜて、「スポカル」。以後、おみしりおきを。

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