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【ボストンから一言(3)】韓国才女「親日を責める国、ばかばかしい」 「吉田証言のようなことがあったら朝鮮の男は黙ってみていない」

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 私は米ボストンに住む韓国人の友が何人かいる。

 彼らは日本統治時代に、ある年齢まで日本語教育を受けているので日本語ができる。皆85歳以上ながら、朝鮮戦争後、韓国最高峰のソウル大学を卒業して、学問のため米国留学をした。

 去年の夏、85歳で亡くなったHさんは日本の文化、文学をこよなく愛し、日本各地を訪れ、就眠前はベッドで百人一首を読むことを常としていた。

 彼女が受けた日本語教育は、終戦の12歳で終わっていても、きれいな昔の日本語だった。

 ソウル大学を卒業した後、米国の大学院で生物化学を修めた才媛。頭脳明晰(めいせき)とは、彼女そのものだった。

 その上、記憶力が抜群ときているので彼女から聞く昔の思い出話は、楽しく興味深いものだった。

 亡くなる月まで日本から文芸春秋を取り寄せ、日本の世情に精通するだけでなく、ニューヨーク・タイムズなども購読する教養にあふれた最愛の友人の1人だった。

 慰安婦問題に関しても、彼女は、自分の人生経験を基にして怜悧(れいり)に韓国を見つめ、このように話をしていた。

■挺身隊になれることを楽しみにしていた

Hさん「女子挺身隊とだまして慰安婦にさせたと言っていますが、12、13歳の私たち生徒は、15歳になるのを楽しみにしていたのですよ」

 私「どうしてですか」

Hさん「15歳になれば女子挺身隊に入れるからですよ。だって、戦争末期には、お国のためと、学校の授業もほとんどなくって雲母を一枚一枚剥がす仕事ばかりさせられていました」

 私「何に使うのですか」

Hさん「さぁ、子供ですから考えたこともなく、言われるがまましていましたけど、何でも飛行機の電気関係とか聞いたことがあります」

 「でもですよ、慰安婦にさせられるのでしたら、私たち(上流階級の子女らが集まった)淑明女学校の女子は、あのように挺身隊に憧れませんよ」

 「吉田清治って、希代の嘘つきですよ。作り話に乗せられて、済州島では200人余りの若い女性たちを暴力でトラックに積み込み慰安婦にさせたと書いた日本のA新聞社もどうかしていますよ」

 「その記事のせいで(間違った情報が)世界に広まったのでしょう?。そんなことがあったら、朝鮮の男たちは黙ってみていませんよ」

 「特に済州島の男たちは荒いのですから、命をかけて戦いますよ。A新聞は、大スクープ!と飛びついたのでしょうけど、ジャーナリストたるもの、記事にする前に冷静に調査しなければいけません。本人の素性も調べていないようですね。ばかげた話です」

 「慰安婦は、今の世の中を基準にして考えてはいけません。あの時代は、人権なんてありませんよ。特に女性は。日本だって金のため親は娘を売りました。当時は、それが悪ではなかったのです。村々を回って親から娘を買っていた女衒(ぜげん)は朝鮮人だったのですよ」

■日本人はなぜ捏造(ねつぞう)を信じたのか

 私「女衒は朝鮮人だったのですか」

Hさん「だってそうでしょう。田舎の貧しい朝鮮の親たちは日本語を話せないのですから。私の母親は一応、両班(特権身分の階級)の出ですが、『女に学問は不要』といった当時の朝鮮ですから、日本語を話せないだけでなく、ハングルの文字も読めませんでした」

 「父は小学校から大学まで日本語教育を受けていますし、朝鮮殖産銀行に勤めていましたから日本人と変わりなく話しました」

 吉田氏は韓国に石碑を建て、その前で土下座をし、「許してください」などと謝罪したそうだ。

 私は、Hさんのために大高未貴氏(著)の「父の謝罪碑を撤去します」を購入し、手渡した。

 同書を読み終えたHさんは、「どうしてこんな(吉田氏の)捏造話を信じたのでしょうね。日本人は、もっと賢い民族のはずです」と私に問いかけてきた。そして、こうも語った。

Hさん「本当にばかげた話なのですけど、自殺をした廬武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の下で親日財産没収法が決まって、朝鮮総督府が設立した朝鮮殖産銀行に亡くなった父が勤めていたことで、私たちは親日(という扱い)となっていたのです。それで長女の私に統治時代に築いた財産を没収するって手紙がきたのですよ」

 「このために韓国政府は特別機関を作って、全世界に散らばっている親日といわれる子孫を探し出すのですから。こんな愚かな手紙を出すお金があれば、北朝鮮への防衛費に使ったら良いのです」

 私「それでどうしたのですか」

Hさん「破って捨てました。もう何年もたちますが何も言ってきません。政府も忘れているのでしょう」

 「あの慰安婦像だってそうですよ。どう見たって12、13歳の少女です。そんな歳で慰安婦なんてあり得ません。日本人が怒れば怒るほど彼らは喜ぶんです。ほっとけば、今にほこりを被りますよ」

 ■デモには北が入り込んでいる? 

 いろいろな話を聞かせてくれるHさんに私が「韓国の話をするときには、『ばか』の言葉がたくさん出てきますね」と語りかけると、「だって本当のことを言えば、親日と責める国ですもの。ばかばかしい…」と真面目に答えるのが印象的だった。

 去年、韓国で広がったキャンドルデモをテレビで2人で見ているとき、Hさんの分析に考えさせられた。

Hさん「このデモには北朝鮮からの人間が相当入り込んでいると思います」

 私「どうしてですか」

Hさん「日本人と違って、韓国の人間は一致団結ができない民族なのです。この短期間にキャンドルやビラ、そして、そろいの上着などを民衆が団結して用意できるはずがありません。北朝鮮の人間は長年の間、命令に従うことに慣らされています。これだけ韓国民が同じ行動ができるのは、北朝鮮からの指導者が統率しているはずです。民衆が気づいていないだけです」

 私「協力できない民族なのですか」

Hさん「こんなことわざがあります。『日本人と朝鮮人が1体1で戦えば体の大きい朝鮮人が勝つ。2対2では日本人が勝つ』。それは、日本人の協力し合う民族性からです。朝鮮民族は、2人になれば、お互いに大将になりたがってけんかが始まります」

 このことわざは、私が釜山に住んでいるときにも、家のお手伝いさんから聞いたことがある。

 Hさんには「これほど日本を愛してくれる貴方に対して、日本の首相に一筆礼状を出すようにお願いしなければいけませんね」と冗談を言ったものだ。

 私が彼女にしてあげられなかった唯一の心残りは、彼女が日本統治時代に教えを受けた日本人教師の家族を探せなかったことだ。

 終戦で日本人教員が引き上げる前日、学校の講堂に集まった女生徒たちに、先生1人ひとりが別れのあいさつをしたという。

 最後に、彼女が最も尊敬をする男性教師は「立派な朝鮮女子たれ!」と大きく涙声で言ったそうだ。

 「果たして期待に沿える朝鮮女子になれたのかどうか分かりませんが、せめて先生のご家族に、あの時の立派な言葉を伝えたいものです」とHさんから聞いていたからだ。

 力を尽くしたが、ついに探すことはできなかった。

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 2011年7月5日に腔鏡腎尿管全摘除術を行うことになった。

 当日早朝、知り合いで元阪大の吉岡淳先生が病院に指定された5時半に間に合うよう私の車を運転して連れて行ってくれた。

 手術予定は3時間。手術終了まで付き添うと言い張る吉岡先生の優しさに感謝するも、強制的に帰ってもらった。

 午後、麻酔から目が覚めると広く清潔な個室のベッドに寝かされ、脇腹にはビニール管と袋がつり下げられていた。

 部屋には、シャワールームもあり、早速、持参した消毒紙でトイレシートを拭く。

 前に経験した激痛で懲りている私に、ケーンズ医師が「絶対に約束する」と言った通り、術後の痛みは全くなかった。同月15日にカテーテルが外されるまで病院で購入をした痛み止めを飲むことは1度もなかった。

 ただ、体内で機能していた臓器が1つ摘出されたというのに、この無感覚は何だろう。

 術後は食欲がなかった。摘出から2日目、形容しがたいほどまずい三度の食事。ほとんど残した。

 3日目となる7日午前、病室に入ってきた医師から「おめでとう」と退院許可が下りた。

 「何か質問は」と聞かれて、「初めての経験なので、何を聞くべきか分かりません。なので質問はありません。それよりも、おすしを食べてよいでしょうか」と尋ねると、「おすしは僕も好きですよ。どうぞ」との返事が帰ってきた。

 親友の金子操さんと彼女の長年のボーイフレンドであるマークが迎えに来てくれた。

 「買ってきてもらいながら、思うほどおすしを食べられないわ」とこぼす私に、「普通の男よりも食べている」とマークが笑う。

 数時間後、ご飯とおでんをごちそうすると「これ以上いたら、もっと料理しそう」と泊まる支度をしてきた操さんは、彼と帰ってしまった。

 その夜、これから留学されるお客さまたちに帰宅したことをメールで知らせてシャワーを心いくまで浴びた。

 帰宅して1週間、訪問看護婦がわが家を毎日訪れ血圧、脈拍、傷口、そして袋の中の尿を検査する。

 このシステムだと、落ち着ける自宅でパソコン仕事ができ、好物も料理できる。好きな時にベッドに横たわり本も読め、駄犬のチビの散歩もできる。

 ベストセラーになった「診てもらいたい日本の10人の医者」の1人で、愛知県癌センターで活躍された山村義孝先生と電話で訪問看護の話をすると、「あなたは独立心旺盛だからできると思いますよ。今の日本ではまだ無理です」との意見だった。

 いずれ日本も医療費の削減政策で、自宅看護を活用して入院期間を短縮せざるを得なくなるだろう。

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【プロフィル】新田多美子(Tamiko Arata) 大分県津久見市生まれ。72歳。1983年に米ボストンに移住し、日本などからの留学者向けに住居の手配、生活用品の買い物、車購入と自動車保険など生活の立ち上げサービスの仕事をしている。

 現在は、がん治療を受けながら働く毎日。治療では、スイスのロッシュ社による新薬の免疫チェックポイント阻害剤「アテゾリズマブ」を使っている。日本ではまだ認可が下りていない。早く認可が出た米国で、実際の治療を通して知見が得られている最新治療を受けることを聞いた私の回りの日本医師たちは、口をそろえたように「幸運だ」と言う。

 日本が恋しいわけではないが、誰よりも日本を愛し誇りに思う。ボストンから見る日本や、少し変わった日常の出来事などをコラムにし、日本ではまだ認可されていない最新のがん治療の様子も紹介していきます。

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