産経WEST for mobile

【水と生きる(2)】「直虎」のあのシーンも…井伊家も生活に取り入れた水文化 琵琶湖と連動、雅な池泉回遊式庭園

記事詳細

「直虎」のあのシーンも…井伊家も生活に取り入れた水文化 琵琶湖と連動、雅な池泉回遊式庭園

水と生きる(2)更新
彦根城の庭園「玄宮園」。池を中心に四季折々に姿を変える 1/3枚

 彦根藩主、井伊家の興隆を描いた昨年のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」。決断するとき、相談するとき、節目を迎えると主人公の井伊直虎らは森の中の「井戸」を訪れ、考えをめぐらすシーンがおなじみとなった。

<< 下に続く >>

 その井伊家の居城、彦根城(滋賀県彦根市)。白亜に輝く国宝の天守はあまりに有名だ。だが「実は『水の城』でもあるんです」と彦根市教委文化財課の斉藤一真学芸員は話す。「井伊の『井』は井伊家発祥の地、遠江国(静岡県西部)で高い治水工事能力を発揮していたことから、そう呼ばれるようになった」と考えている。

■   ■

 謎を解く鍵は1枚の古地図にあった。茶色に変色した紙には、水色で水路がくまなく描かれている。現在の彦根城に残るのは内堀、中堀だが、外堀も加えた3つの堀が城をぐるりと囲む。城北側は、現在その姿はない「松原内湖」が接する。

 彦根城博物館に残る江戸時代後期の天保7(1836)年に描かれた「御城下惣絵図(そうえず)」。彦根城の城割を忠実に記録した数少ない貴重な資料だ。「彦根城の歴史からは、井伊家の治水技術と文化水準の高さが分かる」と斉藤さんは話す。

 北は「松原内湖」、南は暴れ川だった芹川に挟まれた湖水地帯につくられた彦根城。まさに「水に浮かぶ」城だ。

 「関ケ原の戦い」後、江戸幕府にとって西日本の大名に備える最前線の拠点となった彦根城。水を最大限に防御に生かす発想もそこから生まれたという。

 ただ、たびたび氾濫を起こす芹川など、有利な立地条件を生かすには高い治水技術が必要だ。近年の調査では、芹川の氾濫でつくられた「溝」を利用し、堀を掘削するなどの工夫が随所にみられるという。「井伊家を彦根藩主に据えたのは水を制御する技術が高かったから、との説もある」と斉藤さんは指摘する。

■   ■

 彦根城から北に約1キロ。湖岸近くにひっそりとたたずむ2万800平方メートルの広大な敷地がある。純和風の屋敷がたち、庭園の中央を横切る池が目を引く。彦根藩主、井伊家が住まいとした「旧彦根藩松原下屋敷」(お浜御殿)だ。

 池は、隣接する琵琶湖の水位と連動して水位が変動する「汐(しお)入(いり)(しおいり)形式」。通常海沿いにつくられ、海水の満ち引きと連動することが一般的な形式の庭園。「浜離宮恩賜庭園」(東京都中央区)などが有名だが、淡水を利用した庭園は日本唯一という。

 井伊家はその高い治水能力を文化面にも投資した。

 御殿は藩主の居住施設。自慢の庭園にも「よりプライベートな人しか呼んでいなかった」(斉藤さん)といい、大名の優雅な息抜きに使われたとみられる。

 例えば12代当主、直亮(なおあき)の家臣が家系図などを記録した「侍中由緒帳(さむらいじゅうゆいしょちょう)」によると、琵琶湖で大漁だった際に重臣らとともに獲れたての湖魚を食べたり、茶会を開いたり、などの記載があるという。

写真ギャラリー

  • 明治時代の松原下屋敷を撮影したとされる「『井伊伯爵別邸千松館』」写真(彦根市立図書館提供)
  • 在の「旧彦根藩松原下屋敷」(お浜御殿)。琵琶湖の水位に連動して水位が変わる「汐入形式」でつくられ、中央部分の池は満水時には奥の木の根元付近まで満ちるという