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【鹿間孝一のなにわ逍遙】信長の桶狭間の戦いも…時代小説に描かれた梅雨

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金色に輝く織田信長像=JR岐阜駅前(関厚夫撮影)
金色に輝く織田信長像=JR岐阜駅前(関厚夫撮影)

 池波正太郎さんの時代小説に「梅雨の湯豆腐」という短編がある。

 主人公は浅草の外れの畑の中の一軒家に住む彦次郎という「殺し屋」である。ふさ楊子を作る仕事を隠れ蓑(みの)にして、孤独にひっそり暮らしている。三度の食事の支度も自分でする。

 彦次郎の「何よりの好物」が湯豆腐である。湯豆腐といえば冬のものだが、季節を問わずに食べる。

 〈豆腐屋が、今朝とどけてくれた豆腐と油揚げを、細く切って土鍋に入れ、小さな火鉢にかけた。彦次郎が何より好物の湯豆腐であった。豆飯を台所のかまどへかけておいてから、彦次郎は湯豆腐と焼海苔で酒をのみはじめた。梅雨の冷えに、湯豆腐はことにうまい〉

 梅雨冷えどころか、まだ梅雨に入っていないが、こういうシーンに出会うと、湯豆腐で一杯やりたくなる。

     ◇

 新田次郎さんの「梅雨将軍信長」は、桶狭間の戦いを独自の設定で描いている。

 主人公は平手左京亮(さきょうのすけ)。若き日の織田信長の粗暴な振る舞いを諫めるために自害した平手政秀の弟である。

 迫る今川義元の大軍に為す術(すべ)もなく、清洲城での籠城を決した信長は朝方、小鼓の音を聞く。打っていたのは左京亮だった。

 「いったいなにをしているのだ」

 「気をうかがっておりまする」

 鼓の皮をへだてて大気の動きがよくわかるというのだ。

 「言ってみるがいい、今日の気はいかように変わる」

 信長の問いに左京亮は答えた。

 「陽気すこぶる旺盛になって参りました。おそらく、今日の午後は大豪雨になり、そして明日あたりには梅雨は晴れ上がるものと存じます」

 この言葉に、信長は出陣を決意する。

     ◇

 左京亮の“予報”通り、視界を遮る激しい雨となり、奇襲をかけた信長は義元を討ち取る。

 永禄3(1560)年5月19日、太陽暦では6月12日だった。

 信長は、やはり梅雨の最中の長篠の戦いでは、鉄砲隊の火縄が湿らぬように、左京亮の進言で梅雨の中休みの晴れ間を待ち、武田勝頼を破った。

 左京亮は「赤気あれば側臣に乱あり」と、本能寺の変も予言した。

 もちろんフィクションだが、作家になる前に気象台に勤めたことのある新田さんならではの着想である。

     ◇

 梅雨に入る前に虫干しをしておこうと、本棚を整理した。いつか読もうと、買ったままほったらかしだった本が何冊もあった。

 晴耕雨読という。

 外に出られないなら、家で本を読もうか。そろそろ雨のシーズンである。

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鹿間孝一 鹿間孝一 産経新聞特別記者兼論説委員(平成25年9月まで大阪特派員を兼務)。北海道生まれの大阪人。生涯一記者を自任していたが、なぜか社命によりサンケイリビング新聞社、日本工業新聞社で経営にタッチして、産経新聞に復帰した。記者歴30余年のうち大半が社会部遊軍。これといった専門分野はないが、その分、広く浅く、何にでも興味を持つ。とくに阪神タイガースとゴルフが好き。夕刊一面コラム「湊町365」(「産経ニュースWEST」では「浪速風」)を担当。共著に「新聞記者 司馬遼太郎」「20世紀かく語りき」「ブランドはなぜ墜ちたか」「なにが幼い命を奪ったのか 池田小児童殺傷事件」など。司馬遼太郎に憧れるも、いうまでもなく遼に及ばず。

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