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【小山田古墳は巨大方墳・動画】「舒明天皇初葬墓」か「蘇我蝦夷の大陵」か 研究者を二分する論争に

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「舒明天皇初葬墓」か「蘇我蝦夷の大陵」か 研究者を二分する論争に

小山田古墳は巨大方墳・動画更新
 小山田古墳で見つかった横穴式石室の羨道部(左上の樹木付近から右下の花壇にかけて)=奈良県明日香村 2/4枚

 全国最大級の一辺約70メートルの巨大方墳と判明し、橿原考古学研究所が「舒明(じょめい)天皇の初葬墓の可能性が強まった」と発表した奈良県明日香村の小山田古墳(7世紀中頃)。ただ、当時天皇家に匹敵する力を誇った蘇我氏の根拠地だった甘樫丘(あまかしのおか)に近いため、日本書紀に登場する「蘇我蝦夷(えみし)の大陵(おおみささぎ)では」とみる研究者も依然多く、考古学者を二分する大論争になっている。橿考研は今後、石室の中心で石棺を置いた玄室の調査を進める方針で、被葬者の推定につながるか期待される。

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 奈良文化財研究所の職員として飛鳥・藤原宮跡の発掘調査を担当した木下正史・東京学芸大名誉教授は今回の調査を受け「舒明天皇の初葬墓」説を支持。「飛鳥最大の古墳で、推古天皇陵などより大きい。舒明天皇は、国家仏教の出発点といえる百済大寺を造営するなど、新しい政治を行った権力者。小山田古墳はそうした力を示すもので、蘇我氏がつくれる規模ではない」とする。

 今尾文昭・元橿考研調査課長も「周辺では西側の谷を埋めて高い盛り土をするなどすごい造成工事をして築造している。大王家(天皇家)の力をみせようと、飛鳥の目立つ場所に造った大古墳だ」とみる。

 一方、猪熊兼勝・京都橘大名誉教授は濠(ほり)の遺構が見つかった平成27年には「被葬者の第1候補は舒明天皇」としていたが、「蝦夷の大陵の可能性の方が大きい」と見解を変更。今回、蘇我氏ゆかりの豊浦(とゆら)寺(明日香村)出土の瓦と同タイプの瓦が見つかったことなどを理由にあげた。「石室は全長30メートルぐらいの規模だろう」と推理する。

 白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館長は「7世紀の中ごろに飛鳥のど真ん中に墓をつくることができるのは蘇我氏の族長以外に考えられず、被葬者は蝦夷とみるのが常識的な理解」とし、「舒明天皇の初葬墓は、埋葬翌年に改葬している。あんな立派なものを造ってすぐに改葬したと考えるのは無理がある」と語る。

 一貫して「蝦夷の大陵」説を唱える泉森皎・元橿考研副所長は「日本書紀が『大陵』と伝えるにふさわしい大きさだ。当時使われていた高麗尺(こまじゃく)で考えると、一辺は約200尺。ピラミッドのような段築(だんちく)構造の方墳だったと思う」としている。

写真ギャラリー

  •  古墳上に養護学校(右下の建物群)が立つ、奈良県明日香村の小山田古墳。上方は甘樫丘地区の丘陵地=1月