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【関経連70周年インタビュー(1)】阪神大震災、目指した民間主導の復興…第10代会長・川上哲郎氏(88)

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阪神大震災、目指した民間主導の復興…第10代会長・川上哲郎氏(88)

関経連70周年インタビュー(1)更新

 関西の経済団体を代表する関西経済連合会が今月、70周年を迎えた。現在の森詳介会長まで14代の会長の下で関西の経済界をリードし、戦後復興から高度成長、バブル経済崩壊、阪神大震災といった時代の転換期を乗り越えてきた。平成以降に就任した第10~12代の会長経験者(第13代の下妻博氏は昨年11月死去)に、在任中の取り組みや、関経連が今後果たすべき役割への期待などを聞いた。初回は第10代会長・川上哲郎氏(88)。

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多難な船出

 《第9代会長の宇野收氏(当時・東洋紡名誉会長)の後任に最有力視されたのは小林庄一郎氏(同・関西電力会長)だが、宇野氏は地域独占の公益企業である電力会社のトップが会長に就くことへの批判に配慮し、川上氏を指名した》

 私にとっては青天の霹靂(へきれき)。小林さんが当然、(後任会長に)なるものだと思っていたわけで辞退し続けたが、宇野さんや色んな人から相当口説かれて引き受けることになった。

 《これに反発した関西財界の有力企業が経営トップを副会長に出さず、難しいかじ取りを強いられた川上関経連。課題が山積する中、平成6(1994)年に開港した関西国際空港では2本目の滑走路整備などの2期事業の全体構想を取りまとめることが最大の懸案だった》

 「1期のような民間出資のスキームのままだと負担に耐えられない」と経済界の一部からは反対を受けていたうえに、当時は政権が(自民党単独から連立へと)代わり、なかなか2期構想にOKをもらえなかった。大蔵省(現・財務省)などに何度も交渉に行き、空港島の埋め立て費用までは経済界が負担できないことは理解してもらい、上物のターミナルビルを経済界が負担する形での2期構想が認められた。

阪神大震災、復興に奔走

 《平成7(1995)年1月には阪神大震災が発生。関経連内に「復興対策特別委員会」を設け、復旧・復興段階に合わせた提言活動を行うとともに、川上氏自身も政府の「阪神・淡路復興委員会」の委員に就き、復興に奔走した》

 当時は被災した神戸や関西が立ち直れないのではないかといった危機感はなかったが、この20年の復興のあり方については、関経連が提案した民間主導型の復興がなされなかったのが不満だ。関西から企業や人材がどんどん東京へ移っていく流れも止められず、情けない思いだった。

 今後の関経連の役割は、関西の経済界が一体になって対東京意識を払拭し、(あらゆるものがインターネットにつながる)IoTの時代にふさわしい科学技術など関西が特化すべき重点をはっきりさせるように働きかけるべきだ。

          (聞き手 牛島要平、栗川喜典)

     ◇

【プロフィル】川上哲郎(かわかみ・てつろう) 昭和27年東京商科大(現・一橋大)卒。同年住友電気工業。専務、社長などを経て平成3~11年会長。6~9年関経連会長。東京都出身。

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