産経WEST for mobile

菅原道真の「空しき官舎」か、大宰府の神社境内で 不遇の晩年、雑草しげり雨漏りも

記事詳細

菅原道真の「空しき官舎」か、大宰府の神社境内で 不遇の晩年、雑草しげり雨漏りも

更新

 平安時代の貴族で秀才ぶりが伝わる菅原道真は、政治の中枢を担う右大臣まで上り詰めたが、政争に敗れ、京都から遠く離れた大宰府に追い落とされた。華やかな生活は一転し、雑草が生い茂り、雨漏りする官舎で、衣食もままならないわびしい晩年を余儀なくされたようだ。

 学問の名家に生まれた道真は幼くして和歌を詠み、青年期には詩文を教授する文章博士に。弓の腕も高く、文武に才を発揮したとされる。

 醍醐天皇の時代、右大臣だった道真は左大臣藤原時平によって身に覚えのない罪を着せられ、大宰府に左遷。道真の漢詩集「菅家後集」からは、任地での不遇を嘆いた様子がうかがえる。

 菅家後集によると「空しき官舎」はかやぶきで雨漏りもひどく、井戸はふさがれ、庭石が雑草で隠れるほど荒れ果てていた。身の回りの世話をする年老いた使用人らはいたが、優雅な都の生活とはかけ離れていた。

 左遷から2年、道真は自身の潔白を祈りながら903年に生涯を閉じた。その後、無実が証明されて神様の位を贈られ、太宰府天満宮にまつられたとされる。

プッシュ通知