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山本五十六、1枚の写真が解き明かす「実像」 亡き部下の子を抱き、涙する司令官
銀幕裏の声更新ドキュメンタリー『山本五十六の真実』
戦後70年目の夏。映画館では戦争大作が公開、テレビでは戦史もののドラマやドキュメンタリーが相次いで放送されている。実在した軍人を主人公にした物語は多いが、中でも連合艦隊司令長官の山本五十六ほど繰り返し映像化されてきた軍人はいないだろう。「トラ・トラ・トラ!」「連合艦隊司令長官 山本五十六」など大作に登場してきたが、いずれも個性豊かな俳優がさまざまな山本像を演じており、いったい“どの顔”が真実の姿に近かったのか? 新書『山本五十六 戦後70年の真実』の著者で戦史研究家の渡邊裕鴻さんは“ある1枚の写真”をきっかけに海軍史にのめり込んでいったという。写真が語る人間・山本五十六の実像とは…。その未公開秘話を紹介したい。(戸津井康之)
なぜ父が山本に抱きかかえられているのか?
新書『山本五十六 戦後70年の真実』は、山本の海軍兵学校時代からの親友、堀悌吉が所蔵していた山本からの手紙など未公開資料から真珠湾攻撃の真相などを解き明かしていくノンフィクション。昨年、NHKのBS番組「山本五十六の真実」として制作、放送された後、未公開の証言などを一冊にまとめ6月、刊行された。
この番組制作の取材班で中心となったのが渡邊さんだ。元々は船舶関係の会社員だが、祖父が元海軍パイロットだったこともあって、世界の海戦、海軍史の知識に長(た)け、その研究歴は長く、趣味の領域を超えている。渡邊さんは独自の調査を続ける中、山本が堀に宛てた手紙などこれまで幻とされてきた未公開資料に辿(たど)り着いたのだ。
この探究心の源泉はどこからくるのか? それを辿ると渡邊さんが大学時代、父と同郷の友人宅で見せて貰ったという一枚の写真に行き着く。その友人の父も海軍元軍人だったという。
写真には、産着に包まれた赤ちゃんを胸に抱きかかえた、穏やかな表情の山本が写っていた。
この赤ちゃんは渡邊さんの実父、穹(たかし)さん。「なぜ父があの山本に抱きかかえられているのか?」
やがて渡邊さんはこの写真から父、そして祖父の人生を知ることになる。
祖父の遺書
渡邊さんの祖父、正弘さんは明治33年、大阪生まれ。旧制府立北野中学卒業後、海軍兵学校に進学。海軍航空隊に配属され、昭和3年、艦上攻撃機のパイロットとして空母「赤城」に乗船していた。
当時の艦長が山本五十六だった。
翌4年4月、済州島南方の洋上航海中、演習で赤城を飛び立った祖父の機体は、悪天候のため空母への帰還をあきらめ、海上に不時着する。だが、激しい波に機体は流され、そのまま海に沈む…。
約1カ月後、漁船の船員が海面に漂流していた祖父の遺体を見つける。祖父の飛行服のポケットには遺書が残されていた。
遺書は祖父の日記帳の2ページを使って鉛筆で書かれていた。
《午後6時着水 天皇陛下万歳 飛行機にて死す 本望なり》
極限の状況下、最期まで海軍パイロットらしく、冷静に状況を判断しながら懸命にメモを取り続けていた状況が伺える。
そしてもう一枚にはこうしたためられていた。
《雅子をよろしくたのむ 治之も母達もよろしく
美しく清く過ごして呉れ いろいろ有り難う。 綾子殿》
綾子とは三重県伊勢市で自分の帰りを待つ妻の名前。雅子はまだ2歳になったばかりの娘、治之は弟の名だ。
渡邊さんの祖父はこのとき29歳、祖母の綾子さんは22歳だった。そして渡邊さんの父は、祖母のお腹の中にいたのだ。
新婚時代、綾子さんが「もし、飛行機が故障すれば、陸上ならどこかへ不時着できるけれど、海の上なら、どうなるんでしょうか?」と聞くと、正弘さんはこう答えたという。「そのときは死ぬさ」と。
部下を思う涙
同年10月、正弘さんの墓参りのため、山本は伊勢を訪れた。軍服の正装姿で現れた山本は生まれたばかりの穹さんを抱きあげた。
このとき撮影された写真を、後に渡邊さんが目にするのだ。
祖父の海軍葬の際、葬儀委員長を務めたのは赤城艦長の山本だった。また、祖父の墓碑の表面は、当時の海軍大将、加藤寛治が、裏面は山本が揮毫(きごう)している。
「渡邊の遺族はどうしているかな?」。その後も、山本は祖父の同期生を見つけては、こう気遣っていたことを、祖母は夫の同僚たちから何度も聞かされた。
正弘さんが亡くなった演習では、赤城の艦載機など14機が海に不時着。赤城は長崎・佐世保で待機し、行方不明機の捜索を続けたが、このとき部下の安否を心配し、大粒の涙をぼろぼろと流す山本の姿が目撃されている。同演習では正弘さんの乗る攻撃機など2機に搭乗した4人が亡くなっている。
赤城に次々と生還してくるパイロットを出迎える度に山本は涙を流し続けていたという。
イチジクに込めた平和の願い
山本は連合艦隊司令長官となった後にも、再度、伊勢を訪れ、正弘さんの墓参りをしている。
渡邊さんの父の姉、雅子さんには京都で買ってきた市松人形を、父には戦艦「長門」の模型の文鎮をお土産に持ってきていたという。
「祖父が見ることのできなかった娘と息子の成長を確かめたかったのではないでしょうか。司令長官となり、激務だったはずなのに…」
渡邊さんはこう想像する。「部下思いの山本は、きっと時間を見つけては、亡くなった部下たちの墓参りのため、日本全国を回っていたのではないでしょうか。そして戦場でも常に部下の遺族を気遣う優しい気持ちを忘れていなかったのだと思います」
再度、伊勢へ墓参りに訪れたとき、山本は持参したイチジクの苗を寄贈している。
現在も、渡邊さんの祖父が眠る墓碑が立つ墓場の入り口で、このイチジクが花を咲かせているという。
