産経WEST for mobile

【戦後70年】「今の平和は戦った若者らの犠牲の上にある」 特攻兵器「桜花」投下の元神雷部隊員、同期の特攻弔い続ける

記事詳細

「今の平和は戦った若者らの犠牲の上にある」 特攻兵器「桜花」投下の元神雷部隊員、同期の特攻弔い続ける

戦後70年更新

 第二次世界大戦中、神風特攻隊を組織する際、隊員を多く輩出した「第10期海軍甲種飛行予科練習生(甲飛10期)」の戦死者を慰霊し続ける男性がいる。兵庫県宝塚市の湯浅正夫さん(89)。甲飛10期の卒業生で、戦地で多くの同期生らの死を見届けた。戦後、甲飛10期の戦死者慰霊碑を市内に設置するのに携わった。今年は戦後70年。「元気に動ける仲間は少なくなったが、今後も慰霊を続けたい」と話している。

<< 下に続く >>

 湯浅さんは真珠湾攻撃翌年の昭和17年、16歳のときに母親の反対を振り切って「国のために」と予科練習生に志願。茨城県の土浦海軍航空隊で甲飛10期として訓練を受け、19年2月からフィリピン・レイテ島などを拠点に各地に出撃した。

 同期生も戦場を飛び回った。同10月には甲飛10期を中心に神風特攻隊が編成され、25日にレイテ島沖で米軍の空母を撃沈すると、同期生らは「軍神」とあがめられた。

 湯浅さんは「特攻隊は未成年がほとんどだった。当時は特攻に迷いや疑問はなかったが、今思うとなぜこんなことになったのか」と話す。

 自らも同12月、操縦士ごと目標に突撃する特攻兵器「桜花」を投下する「神雷部隊」に所属。部隊では計56機の桜花が特攻し、部下の死も見届けた。

 甲飛10期は約千人の卒業生のうち777人が戦死した。夜の闇の中で米軍の航空機に機関銃で攻撃された時のことや、倒れた戦友の姿が今も夢に出る。「帰ってこなかった仲間のことが重たくのしかかっている」

 終戦後に仕事のため宝塚市に転居。市内にある寺院「宝塚聖天」に昭和53年、戦没者を悼む大光明殿が建てられると、戦没者の慰霊祭を始めた。平成6年には大光明殿の傍らに、同期生らとともに甲飛10期の慰霊碑を設置。慰霊祭は参列者の高齢化が進んだため19年にやめたが、毎月、慰霊碑に参り続けている。

 「今の平和は日本を守るために戦った若者らの苦しみや犠牲の上にある」。そのことを決して忘れてはならない、と湯浅さんは心に刻む。