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【開港20年・関空の視界】(4)浮かれすぎた“ツケ”は払えるのか…バブル崩壊で気付いた「宝島」という“錯覚”

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【開港20年・関空の視界】(4)浮かれすぎた“ツケ”は払えるのか…バブル崩壊で気付いた「宝島」という“錯覚”

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関西国際空港の対岸に位置するりんくうタウン。バブル経済最中の構想は、バブル崩壊とともに幻にすぎなかったことが露見。「迎都」になるはずが、ただのゲート(門)にすぎなかったことも地元の期待を裏切った 関西国際空港の5階建てビルに入る格安航空会社(LCC)、ピーチ・アビエーションの本社オフィス。窓外にたくさんの離着陸便を望む一室で働く阪上博則さん(42)は、関空の地元自治体、大阪府泉佐野市から今年春、同社へ出向した。

 市と同社が今年度から始めた人事交流の1期生。担当は広報業務だが、市のふるさと納税制度の特典として航空券購入などに使えるポイント制度を7月に導入するなど、市職員としての知恵と経験を生かし、ソフト面で人を呼び込むためのアイデアを提供している。

「現代の宝島」

 阪上さんが泉佐野市に入庁したのは、関空開港を約3年半後に控えた平成3(1991)年4月。バブル経済がかげりを帯びながらも華やかしき頃だった。

 関空対岸の埋め立て地、りんくうタウン。大阪府企業局が整備したこの地には、開港前夜、一大国際交流都市を建設する構想が立てられた。高層ビル群が林立し、10万人が働き、遊ぶ都市…。地元は「現代の宝島」の誕生を思い描いた。しかし、やがて空想の泡ははじけた。進出を予定した企業は軒並み撤退。府は長年誘致策に苦しみ、建設費が財政を圧迫する「負の遺産」と化した。

 「こんなすごい街で働けるのなら」。阪上さんは入庁時に関西の摩天楼を夢見たが、完成することはなかった。「この20年あまり、関空と地元は、期待していたことと逆の状況になっている」。静かに現実を見つめている。

「迎都」の苦悩

 関空の計画から建設、開港の過程は、ちょうどバブル前夜から隆盛、崩壊期と軌を一にした。故に地元は錯覚し、苦悩を背負った。

 地元が関空開港に重ね合わせたのは、空港との共存共栄の夢だった。昭和60(1985)年3月の府議会本会議。当時の岸昌(さかえ)知事は、後のりんくうタウンについて「わが国に対する第一印象を決める玄関口に当たる。それにふさわしい世界でも一流の魅力を備えたものでなければならない」と語っていた。

 関空と連絡橋で結ばれ「迎都」を自任する泉佐野市も、開港に合わせてさまざまな大型公共施設整備を進め、そのツケに苦しんできた。長期不況で税収は減り、平成20年度決算では、財政破綻が懸念される早期健全化団体に転落。“倒産”の危機にひんした。

 「浮かれすぎて身の丈に合わない投資を進め、市財政を圧迫することになった」。千代松大耕(ひろやす)泉佐野市長(40)は「地元は、関空開港で明暗ともに経験した。目の前に国際空港ができたために苦労しているのだと、関空に対するマイナス感情すら芽生えていた」と振り返る。

消えた幻影

 「空港ができれば地元が潤う」という幻影が消えた今、地元は現実を見つめ、新たなスタンスで向き合おうとしている。関空と大阪(伊丹)空港の運営権売却による民営化の青写真が描かれる中、関空への依存体質からの脱却こそが歩むべき道だとかぎ取っている。

 8月26日、千代松市長は、泉佐野市が昨年度決算でようやく早期健全化団体から脱却したと発表した。人件費削減や遊休資産売却に加え、関空連絡橋を渡る車に100円の利用税を独自に課すなどの施策が実った。千代松市長は「一つの目標はクリアしたが、引き続き厳しい状況が続く。粛々と行財政改革を進める」と表情を引き締める。

 関空を訪れる外国人観光客の目的地は、決して空港対岸の都市ではない。20年の時を経て地元が身をもって得た教訓だ。ただ、関空の活況は間接的にプラス効果をもたらす。泉佐野市がピーチとの人事交流を始めたのは、ソフト面で人の呼び込みを支援するとともに、経営ノウハウを学び取ることも狙いとしている。

 大阪府によると、りんくうタウン内敷地の企業との契約率は97・4%まで上昇した。バブル期に夢見た「宝島」にはほど遠いが、先端医療機関の集積など、目的を見定め、身の丈に合った街づくりを目指す。担当者は「高い契約率を考えるとポテンシャルはある。今後一定の活性化ができるのでは」と期待している。

 「地元も集客に知恵を絞るが、外国人観光客の目的地はりんくうタウンでなくてもいい。大阪、関西が集客力を発揮してくれれば」。千代松市長の言葉は、関空が今後目指すべきビジョンと重なり合っている。

=続く

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