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【渡部裕明の國史へのまなざし(3)】「日本国」はいつ形成されたのか、「卑弥呼の墓」から考えると…

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「日本国」はいつ形成されたのか、「卑弥呼の墓」から考えると…

渡部裕明の國史へのまなざし(3)更新

 日本という国家は、いつできあがったのか。古代史研究者に突きつけられた最大の問いである。新たな文字史料が見つかる望みも薄く、古墳の成立という考古学の立場から迫るアプローチが効果的だろう。とりわけ、奈良県桜井市にあって「最古の大型前方後円墳」とされる箸墓古墳に関する考察が最も重要だ。築造時期や祭祀の源流、そして被葬者は誰かという議論に着目し、最新の研究に迫ってみたい。

卑弥呼は「百襲姫」?

 箸墓古墳は墳丘の全長が約280メートル。古墳が最大化する時期の大山(だいせん)古墳(仁徳天皇陵、堺市)などには及ばないが、全国でも10位前後の大きさだ。列島に初めて出現した定型化した大型前方後円墳とされ、築かれたのは3世紀中葉から後半と考えられている。

 三十余りの国々が卑弥呼を「共立」する女王国と、それに属さない狗奴国(くなこく)とが争っている-。3世紀前半の日本列島(倭国)について、中国の史書『魏志』倭人伝はこう記している。景初3(239)年、魏が朝鮮半島の楽浪郡などを支配下に収めると、卑弥呼が祝賀使節を送ったと書かれており、外交感覚も備えていたようだ。『魏志』はほぼ同時代の成立で、史料性は極めて高い。

 「正始8(247)年、魏の使者が倭国に到着したとき、すでに卑弥呼は死んでおり、直径百余歩もの冢(つか=塚)を作っていた。殉葬した奴隷は百余人であった」

 卑弥呼の死と、墳墓の様子はこのようだ。

 これらの記述に関して、「卑弥呼の墓は箸墓」との説を打ち出したのは徳島県出身の考古学者、笠井新也(1884~1956年)だった。笠井は昭和17(1942)年、論文「卑弥呼の冢墓(ちょうぼ)と箸墓」を発表し、卑弥呼が生きたのは『日本書紀』の第10代崇神天皇の時代で、卑弥呼は彼の大叔母で巫術(ふじゅつ)に長じた倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)だったとした。

卑弥呼か?台与か?年代観に30年のずれ

 戦前に打ち出された笠井のこの説が、改めて注目されている。崇神天皇は、多くの古代史家が実在を確実視する天皇(大王)だ。そして『古事記』には崩御の年が干支(かんし)で「戊寅(つちのえとら)」と記されている。笠井はこれを西暦258年と見た。

 しかし、崇神の没年としては、5世紀に中国・宋へ使いを送った雄略天皇(倭王武)ら「倭の五王」の年代を定点とすると古すぎる。干支がもう一巡りした318年こそふさわしいとの見方が有力だ。

 箸墓古墳は現在、宮内庁が「倭迹迹日百襲姫命の墓」として管理している。墳丘への立ち入りは禁じられてきたが、学界の要望に応えて昨年2月、研究者の一部踏査が初めて実施された。さらなる調査に期待をかけたい。

 「墳丘から採集された特殊器台と呼ばれる埴輪の年代観などから、3世紀半ばに築造された可能性は大きい。被葬者は卑弥呼とみていいのではないか」

 3月16日、桜井市で開かれたシンポジウム「箸墓再考」で記念講演した大阪府立近つ飛鳥博物館の白石太一郎館長は、こう言い切った。パネリストの一人、大阪大学の福永伸哉教授も賛意を示した。

 しかし、反対意見もあった。桜井市纒向学(まきむくがく)研究センターの寺澤薫所長である。平成7(1995)年、箸墓前方部の墳丘端の発掘を担当し、見つかった土器の年代観から次のように反論した。

 「私は270年から280年に造られたと見ており、卑弥呼の没年としては遅すぎる。後を継いだ台与(とよ)か、その後の男王と見たい」

纒向遺跡出現の意義

 箸墓が卑弥呼の墓なのかどうか。結局、シンポでも決定的な答えは出なかった。その一方で、箸墓の画期性には異論がなかった。それまでの弥生時代の墳墓が最大でも全長80メートルか90メートルだったのに、3倍以上になったのである。

 「全長が3倍とは、体積では30倍との研究もある。それほどの労働力を動員できた背後には、社会の質的転換があったとみるべきだ。箸墓の築造こそ古墳時代の始まりで、〝初期国家〟が成立した画期と考えたい」。福永氏はこう結論付けた。

 これにも、寺澤氏が反論した。「国家形成の画期は、大陸に近い北部九州の優位が打ち破られ、近畿に中心が移った時期をもって考えたい。それは3世紀はじめの纒向遺跡の出現だ」

 寺澤氏らが発掘を続ける纒向遺跡(桜井市)は、三輪山のふもとに広がり、運河などの土木工事の跡のほか、宮殿風な建物跡なども検出されている。全国各地から運び込まれた土器も出土しており、寺澤氏は「列島最初の王権の誕生とともに創出された都宮」と表現する。箸墓古墳もその一角にある。

 国家形成の画期は纒向遺跡の成立か、それとも箸墓の築造か。この議論はまだ続くだろう。新発見にも期待をかけつつ、注視していきたい。   (論説委員兼編集委員)   =続く