東京オリンピックまであと

PR

パラリンピック4度目の出場目指す谷真海 「開催は最後のピース」

PR

通算4大会目のパラリンピック出場を目指す谷真海(東京都内)
通算4大会目のパラリンピック出場を目指す谷真海(東京都内)

 東京パラリンピック出場を目指すパラトライアスロン女子の谷真海(サントリー)が今春に国内で実施された2つの国際大会で、6月末に決まる出場権に必要な獲得ポイントを積み重ね、2012年まで3大会連続出場した陸上走り幅跳びと合わせて4大会目の大舞台へ前進した。24日で開幕まで3カ月となるのを前に産経新聞のインタビューに応じ、「やるべきことはほぼ全てやり切った。代表権を獲得し、開催を信じて本番を迎えたい」と前を向いた。(田中充)

 --4月のアジア選手権(広島)で優勝し、5月の世界シリーズ横浜大会もパラリンピック出場権を争う障害の軽いクラスと合わせた順位で5位。選考基準の「ランキング9位以内」を満たす8位を維持した

 「国内で開催される2つの選考レースがすごく大事だと思って調整をしてきた。ここでポイントを積み上げないと、6月の海外での選考レースに絶対に出なければならない状況に迫られていたが、新型コロナウイルス禍での出場は難しい。2大会を自分の中では納得できる形で終えられ、まずはホッとしている」

 --2020年大会の1年延期は試練だった

 「延期直後は1年後に開催されるという確信が持てなかった。子供(6歳の長男、海杜くん)もまだ幼く、正直に言えば代表を目指し続けるかも悩んだ。だけど、多くの人たちが大会の開催に向けて動いてくれているのを見て、どういう結末になったとしても、アスリートとして最後まで走り切って『区切りのゴール』を迎えたいと思った」

 --一番大変だったのは

 「体よりも気持ちの部分が大きかった。東京には現在も緊急事態宣言が出ていて、コロナ禍でスポーツに打ち込むこと、パラリンピックを目指すということには葛藤がある。私だけではなく、アスリートは同じ気持ちだと思う。気持ちや意見を言葉にしてきた自分でさえ、何も言わないほうが身を守れると考えてしまう。一方で選考レースは開催され、出なければ前に進めない。もどかしさがあった」

 --今年2月、招致活動を通じて知り合った夫の昭輝さんが胃の悪性リンパ腫が見つかり、約1カ月の放射線治療を受けた

 「最初はまさかという思いで、心配もあった。2人で話し合い、なるべく普段の生活を心掛け、私はトレーニングを中断することなく、夫は仕事と治療を両立して、子供の幼稚園への毎朝の送迎を続けていた。私のシーズン前に治療を終えるスケジュールを立てて、大会にも応援にきてくれた夫の姿は頼もしかった。招致活動から一緒に取り組んできた私たちにとって、東京大会は8年のゴール。共通の思いがあったから、夫も治療を乗り越えられたのかもしれない」

 --2015年に出産し、17年に競技転向して復帰。東京大会までの道のりは、子育てと仕事、競技を掛け持つ日々でもあった

 「海杜は小さいときから海外の大会に応援にも来てくれて、20年の年明けからは“武者修行”で滞在したニュージーランドで約3週間を一緒に過ごした。私がパラリンピック出場を目指していることも認識していて、『ママ、頑張れ』という応援が力になる。自分で目標を立てて、うまくいかないときも含めて、限界を作らずに努力を積み重ねていく姿勢を見せたいと思っていた。いつか何かに本気で打ち込んだときに、東京大会までの歩みを思い出してくれればうれしい」

 --いま伝えたいことは

 「東京大会の招致実現後、パラリンピックを目指すアスリートの環境は劇的に変わり、いい方向に向かっている。ここから次のステップへ進むための『最後の大事なピース』が大会本番なのかなという思いはある。大会の開催は短期目線ではなく、パラアスリートの躍動する姿が社会にインパクトを残し、変革していくところに理念があると思っている。コロナ禍で開催ができなれば仕方ないけれど、開催されることが間違いなく理想。満員の観客とはならなくても、一人でも多くの人にパラリンピックの魅力が伝わってほしい」

谷真海(たに・まみ) 1982年3月12日、宮城県気仙沼市生まれ。旧姓・佐藤。早大時代に骨肉腫が見つかり、20歳で右脚膝下を切断して義足生活に。女子走り幅跳びで2004年アテネ大会から12年ロンドン大会まで3大会連続でパラリンピックに出場。結婚・出産を経てトライアスロンに転向。招致活動にも携わった東京大会出場を目指す。サントリー社員。

この記事を共有する

おすすめ情報