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【鬼筆のスポ魂】ノムさんが我慢し、仙さんは我慢できなかった、阪神再建2人の名将の違い 植村徹也

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阪神監督時代の野村克也さん。左は後を継ぐ星野仙一さん=平成13年
阪神監督時代の野村克也さん。左は後を継ぐ星野仙一さん=平成13年

 野村克也さんが逝ってしまった。11日の午前3時半にご自宅で…。享年84歳だった。星野仙一さんも2018年1月4日に享年70歳で逝去。2代続いた阪神の大物監督は2人とも天にめされた。阪神監督として3年連続最下位に終わったノムさんと就任2年目の03年に18年ぶりのリーグ優勝を飾った仙さん。結果は明暗が分かれたが、阪神監督としてノムさんは平気でも、仙さんにとっては耐えられなかったことがひとつだけある。

 「よくノムさんはあそこに3年間もずっとおったな! ワシには耐えられんわ」

 阪神監督に就任して大阪に単身赴任した仙さんが2週間も過ぎた頃だったか、球団に“泣き”を入れてきた。阪神電鉄本社は外部からの大物監督招聘(しょうへい)とあって、大阪北区の一流ホテルのスイートルームを住居として用意した。それは前監督のノムさんが3年間、快適に過ごした部屋だった。時には沙知代夫人と手をつないで就寝したフカフカのベッドもある。まさに高級感にあふれていた。

 ところが、仙さんは顔を曇らせて「一歩、部屋に入るとシーンと静かすぎて寂しいんや。それにベッドの向こうの窓の下に…」。指さした先を見ると、某新聞社のオフィスが丸見えだった。

 「まあ実際にはそんなことはないんやが、もしワシが誰か女と寝ていたら、のぞかれているんちゃうか…と気になって仕方ないんや。いくら豪華な部屋でも、ワシには苦痛なんや。一刻も早く出たい」

 仙さんは球団に引っ越しを懇願した。そして、自ら知人に頼み込んで、芦屋市内のマンションを紹介してもらうと、サッサと引っ越してしまった。

 「ワシには耐えられんのや。マンションなら部屋の解放感があるし、自分の自由にできる。それにしてもノムさんは…」

 実は仙さんが舌を巻いたのは、自分が2週間足らずで“逃げ出した”スイートルームでノムさんがやっていたことだった。阪神再建のため、1999年から監督に就任したノムさんは豪華な部屋で3年間、何をやっていたのか。これはあくまでも仙さんの証言だが…。

 「ノムさんは毎日、膨大な野球の資料に目を通し、それを分析していたそうや。野球の分析をしていたら、それが楽しくて仕方ないらしい。酒もタバコもコレ(小指を立てて…)もやらんからな、ノムさんは。野球の勉強をずっとしているから寂しさもないんやて…」。仙さんは同じ部屋の空気を吸ったことで、ノムさんの野球に対する想像を絶する探究心を知った。でも、仙さんは「ワシには無理や」とも…。

 ノムさんが阪神監督として3年間“耕した”チームだからこそ、仙さんは阪神監督への意欲を示した。ノムさんが種をまいた土壌の上に、フリーエージェント(FA)補強で金本知憲(ともあき)、海外から伊良部秀輝、トレードで下柳剛らの大型補強を敢行。結果が2003年の優勝だ。

 2人を阪神の指揮官に招いた久(く)万(ま)俊二郎オーナーは当時、こんなことを言っていた。

 「野村さんの野球に対する見識はすごい。よく勉強している。選手の人間教育から始めていましたね。星野さんのすごさはスカウティング能力です。人を呼ぶ力がすごい」

 2人の名将は阪神に大きな足跡を残した。何度か招き入れられた、あのスイートルーム。2人の面影が今でも残っているのか、もう一度、足を踏み入れたい気もする。(特別記者)

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