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【主張】野村克也氏死去 「語り部」の喪失を惜しむ

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 野球評論家の野村克也さんが亡くなった。84歳だった。

 戦後初の三冠王で「生涯一捕手」として通算試合出場数、通算安打、通算本塁打、通算打点は全て歴代2位である。

 監督としてはヤクルトを率いて3度の日本一に輝き、阪神、楽天では後任の制覇へ土台を築き上げた。監督通算1563敗は歴代1位だった。

 球歴は燦然(さんぜん)と輝くが、ファンにとってより身近な存在であったのは、テレビ中継の解説や、サンケイスポーツ紙上での評論、150冊に及ぶ著書などを通じた「野球の語り部」としてである。

 野村さんの言葉によって、野球の魅力や深みが存分に語られてきた。時にそれらは野球界の枠組みを超え、経営指南や人生哲学の書としても読まれてきた。

 野村さんは監督時代のID野球に代表される知の人であると同時に、情の人でもあった。付け加えれば「言葉の人」でもある。

 現役時代はキャッチャーボックスでのささやきで打者の集中力を乱し、指導者としては言葉で多くのベテラン選手を再生した。テレビ解説ではストライクゾーンを9分割した「野村スコープ」で配球の妙を語りつくした。野球に派生する多くの名言は「野村語録」として記憶に刻まれている。

 有名な「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」は江戸時代の大名、松浦静山の剣術書「剣談」が出典である。

 阪神から南海にトレードされ、先発完投型に固執する江夏豊投手をリリーフに転向させたのは、野村さんの「2人で野球界に革命を起こそう」の一言だった。

 豊富な語彙力と相手に応じて使い分ける当意即妙ぶりが「語録」の説得力を支えていた。

 「野村スコープ」の解説では、「視聴者をキャッチャーボックスに座らせた」と評された。現役を引退した星野仙一さんが「それなら俺は皆さんをマウンドに上げてみせる」と対抗心を燃やすのを聞いたことがある。

 こうして球界のOBらが言葉で野球を盛り上げてきた。その代表格だった野村さんが逝き、星野さんも平成30年に亡くなった。

 野球人口の減少が嘆かれて久しい。それは少子化のスピードを超えて進んでいる。そんな風潮に待ったをかける、「語り部」の後継に期待をかけたい。

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