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【野球がぜんぶ教えてくれた 田尾安志】適材適所を考える

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堅実な守備を見せる高木守道さん(右)=1974年
堅実な守備を見せる高木守道さん(右)=1974年

 中日の大先輩、高木守道さんが1月17日に亡くなった。年齢はちょうど僕の一回り上の78歳。僕が入団したときには、既に押しも押されもせぬ中心選手で、憧れの人だった。

 守道さんは二塁守備の鮮やかなバックトスが「職人芸」と称された。それだけではない。守備範囲の広さも、抜きんでていた。入団数年後に右翼のレギュラーとなった僕は、守道さんの後方で驚くようなプレーを何度も目の当たりにした。

 打球に反応して第一歩を踏み出す素早さと、足の速さ。普通なら外野へ抜ける当たりによく追いついていた。鋭い打球が右方向に飛んだので、僕は「右翼に来る」と思って走り出す。向き直ると、ボールがどこにも見当たらない。打球が急に消えたような感じ。既に守道さんが処理し、アウトにしていた。いつも「あの当たりに追いつくのか」とあぜんとしたものだ。

 その後、何人もの二塁手を見てきた。西武で辻発彦、阪神では岡田彰布の後方を守った。彼らもうまかった。だが、守道さんのプレーの方が驚異的だった。

 普段から口数は少なく、練習時も目立たない。試合中もベンチで声を出さない。全ての力をグラウンドでのプレーに集中させている印象だった。僕らが敵をやじったり、味方に声援を送ったりするのは、実はエネルギーを消費し、もったいないことではないのか-と錯覚するぐらいだった。

 ただ、別の面もある。オフに守道さんのサイン会に参加させていただいたときのこと。守道さんは来場者の列が当初の予定を超えて何百人に膨れ上がっても、最後の人までサインを書くのをやめなかった。200人の予定なら、きっかり200人にサインする星野仙一さんとは好対照だった。

 守道さんは現役引退後、中日の監督を3度計7シーズン務めた。コーチやマスコミ、ファンに向かって怒りをあらわにする姿が「瞬間湯沸かし器」と揶揄(やゆ)された。しかし、現役時代は情熱を内に秘めていた守道さんも、そのまま表に出してきた星野さんも、中身は同じ。どちらも燃えていたのだと思う。

 1994年には、長嶋茂雄監督率いる巨人との間で勝ったチームがリーグ優勝する「10・8」決戦に臨んだ。惜しくも敗れるなど、優勝は一度も経験できなかった。守道さんは「職人」であって、さまざまなことを統括する監督のタイプではなかった気がする。

 「現役時代に活躍した名選手だから」-。そんな理由で指揮官となるケースはままある。しかし、それは残念な結果に終わりかねない。本当に向いているのかどうか。フロントは適材適所を考えてポストを提供できているだろうか。守道さんの訃報に接し、そんなことを考えた。

(野球評論家)

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