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【野村克也氏死去】「南海でパリーグを引っ張った」「名選手育てた名監督」関西ファン悼む声

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1960年7月、オールスター戦で、巨人・長嶋を本塁でタッチアウトにする南海・野村克也捕手=後楽園
1960年7月、オールスター戦で、巨人・長嶋を本塁でタッチアウトにする南海・野村克也捕手=後楽園

 プロ野球で名選手、名監督として名を残し、11日、84歳で死去した野村克也さん。突然の訃報に、各地で悼む声が聞かれた。

 野村さんは、かつて大阪・難波にあった大阪球場を本拠地としていた南海(現・ソフトバンク)でプロ生活のスタートを切った。南海の試合を見に大阪球場に足を運んでいたという大阪市大正区のアルバイト、宮城盛信さん(76)は「よう打ったし、守備も一流。人気がなかったパリーグを引っ張る選手だった」と振り返る。

 通算盗塁数の日本記録を持つ福本豊さんとの勝負が印象に残っているといい、「盗塁を決めるか、刺す(アウトにする)か、見ごたえがあった。あんな選手はもう出てこないだろう」と悼んだ。

 現役引退後はヤクルト、阪神、楽天の3球団で監督を務めた。大阪市東成区の飲食店従業員、大山龍也さん(46)は「テレビでよくボヤいていた印象があるが、低迷していたチームでいい選手をたくさん育てた。すごい監督だったと思う」と話す。

 長年の阪神ファンだという大阪府高石市の無職、岩本栄治さん(68)も「阪神の監督は期待が大きい分、大変だったと思う」とねぎらった。プロ野球界では昨年10月にも400勝投手の金田正一さんが死去したばかりで、「活躍していた姿を知っている選手がどんどん亡くなってしまって寂しい」としんみりしていた。

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