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監督人生ぼやき節、野村氏語録「ぼやきは永遠」「愚痴は『不満』、ぼやきは『理想と現実の差』」

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 平成10年10月、暗黒時代とされる阪神で監督に就任した野村克也さん。左は久万俊二郎オーナー、右は高田順弘球団社長=大阪市内のホテル
 平成10年10月、暗黒時代とされる阪神で監督に就任した野村克也さん。左は久万俊二郎オーナー、右は高田順弘球団社長=大阪市内のホテル

 「私が監督を務めた南海、ヤクルト、阪神、楽天には共通点がある。どのチームも最下位になったとき監督就任を依頼してきたことである」-。最後のユニホームとなった楽天の監督就任後、野村さんはチームの再生請負人としての誇りを、ペーソス香るコメントに含ませた。

 プレーイングマネジャーとして35歳の若さで監督に就任した南海時代は別にして、ヤクルト以降の監督生活が「ボヤキ」に彩られたのは、自身が語るように弱いチームを引き受けたことも要因の一つだろう。チームを強くするための理想を語り、それが頓挫したとき「何度自分自身にボヤいたことか」という。「選手を思うように動かせないとは、どれだけオレはヘボなんだ」と自省を忘れなかった。野村さんにとってボヤキは「理想と現実の差を表現するもの。不満を表現する愚痴とは別」だった。

 「ボヤキは高いところ(理想)に登ろうとする意欲の変形」と断じて疑わない野村さんは、人のボヤキにも肯定的だった。「捕手でボヤかないヤツは信用しない。ボヤきだして一人前」と話していた。ヤクルト時代はまな弟子・古田氏をいつもベンチで横に置いて徹底的にシゴき、リリーフが打たれれば「古田が代えろと言ったから」、試合に負けると「アイツのせいで負けた」と“口撃”。後年、当時を振り返って「本当に球場に行くのがいやだった」とボヤいた古田氏が日本プロ野球史上に残る名捕手になったのも、野村さんの教育の賜だったのかもしれない。

 齢重ねるにつれさらに磨きがかかり、楽天時代の2009年には「ぼやき」が新語・流行語大賞のトップ10入りを果たした。その際の受賞の言葉が「ボヤキは永遠なり。僕がボヤかなくなったらご臨終ですよ」。野村さんのぼやきはもう、永遠に聞こえない。

■野村氏のボヤキ語録

・ボヤキは永遠なり

・愚痴は「不満」を表現するもの。ボヤキは「理想と現実の差を表現するもの

・ワシは支配下選手やからな

・今日の負け投手は野村です

・オレの人生2番ばっかり。それでいい

・誰かあした白い紙と筆ペン買ってきてくれ。何を書く? 辞表!

・捕手でボヤかないヤツは信用しない。ボヤキだして一人前

・王は私のささやき戦術をちゃんと聞いて会話もしてくれたが、すぐに集中力を高めて打席に挑んだ。長嶋は何をささやいても見当違いの反応が返ってきてさっぱり心が読めなかった

・人には理想や欲望がある、しかし現実はうまくいかず歯がゆい思いばかり。ボヤキは高いところに登ろうとする意欲の変形だ

・監督をやめると急に年賀状が減るもんなんや

(著書「野村の流儀」「野村克也100の言葉」ほかより)

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