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【話の肖像画】福岡ソフトバンクホークス球団会長・王貞治(79)(10)チーム一丸でV9の偉業

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アベック本塁打を放った長嶋茂雄さんとお立ち台に=昭和49年7月、後楽園球場
アベック本塁打を放った長嶋茂雄さんとお立ち台に=昭和49年7月、後楽園球場

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 《一本足打法となった昭和37年は38本塁打、85打点の二冠王となった。その後は13年連続本塁打王など打撃タイトルは定席となった。40年から長嶋茂雄さんとの“ON砲”が核となり、前人未到の9年連続日本シリーズ制覇、いわゆるV9の偉業を成し遂げた》

 プロ野球新記録であるシーズン最多の55本塁打を達成したのが前の東京五輪の年(39年)で、とにかく野球をすることが楽しかった。一本足打法はバランスを崩すこともあるのですが、うまく打ったときはものすごく飛んだ。

 野球というゲームは選手が勝手に試合を止めることはできない。しかしホームランを打ったときだけは止められるんです。ベースをゆっくり回ってもいい。球場全体がたったひとりに注目する。そんな「自分だけの時間」は、ホームランを打った者の特権ですよ。

 でも野球は勝たなければ意味がない。55ホーマーの年は阪神が優勝、タイトルを取ってもどこか消化不良気味でした。その翌40年からV9を達成、あの充実感は最高でした。

 《V9時代の9年間、打撃3部門の27タイトルのうち、ONで24個を獲得した》

 確かに2人が2つと1つという感じで分け合っていました。「V9はONがいたから」という人もいましたが、9連覇はやはり川上哲治という監督が一番上にいて全体をコントロールしたからで、ONはその下にいた。全得点の3分の1近くをON2人で生み出したというデータもあるのですが、長嶋さんも僕も良い成績だからといっても、浮かれてしまうタイプではなかった。

 「もっともっと」と貪欲だったんです。お互いに変に練習をさぼることもない。そういう2人がいたからチーム全体が“やる組織”になっていました。「ONが練習をやめないから練習をやめられない」なんて他の選手がぼやいていたと聞きますが、それだけやったから結果につながったのだと思います。他のチームより戦力、団結力の固さ、勝利への執念は確実に上でした。

 《その半面、お金には無頓着…》

 柴田(勲さん、外野手)に言われたことがある。「優勝してもONが(契約更改で)頑張ってくれないから給料が上がらない」とね。いまはちょっといい成績を残すとポーンと上がる。年俸交渉では代理人なんかもいるので主張できる。当時は球団の財布のひもも固かった。僕なんか40本塁打して当たり前と思われていたし、金額は全て球団任せで提示通りに「ハイ、わかりました」と契約書に判を押していました。

 現役時代の最高年俸は8千万円ちょっとかな。40年前、一応球界最高額でしたが、当時は10本以上のCMにも出演していた。その契約料のマージンが球団に入るのですが、それが僕の年俸くらいあったらしい。つまり球団は僕をタダで使っていましたよ(笑)。ま、お金のことは言えない時代でしたね。(聞き手 清水満)

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