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【「鬼筆」越後屋のトラ漫遊記】五輪年、矢野阪神Vの「キモ」は56年前にあり

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ベンチで喜ぶ阪神・矢野燿大監督。2年目は優勝すると決めている=甲子園球場(撮影・村本聡)
ベンチで喜ぶ阪神・矢野燿大監督。2年目は優勝すると決めている=甲子園球場(撮影・村本聡)

 優勝宣言の矢野燿大(あきひろ)監督(51)に告ぐ。先発ローテーションの確立なくして、夢はかないません。2020年が幕を開け、阪神タイガースは15年ぶりのリーグ優勝&35年ぶりの日本一に向けて動き始めました。56年前の1964年(昭和39年)、東京五輪開催の年にリーグ優勝を飾っているとあって、揚塩(あげしお)健治球団社長は年頭に「東京五輪の年はタイガースが優勝しています。機は熟しました」とV宣言。指揮官も「優勝したい、ではなくするって決めている」と強気発言です。では優勝するための条件は何か。56年前の藤本定義監督の采配にこそ大きなヒントが隠されている気がします。

「優勝する」って決めている

 皆さま、あけましておめでとうございます。今年も寝ても覚めてもタイガース、365日朝から晩までタイガースを追い求めて、根掘り葉掘り書いていくつもり!?ですので、どうぞよろしくお願いいたします。

 さて、年明けから阪神球団の強気発言が続いていますね。球団開きの挨拶で揚塩球団社長はこう話しました。

 「あけましておめでとうございます。今年は東京五輪の年です。前回の東京五輪の年は阪神タイガースが優勝しています。イッツショータイム! 勝って勝って、皆さまに笑顔をお届けできるように、みなさんご支援のほど、よろしくお願いいたします」

 こう切り出すと「今年は球団創設85周年。85、いい数字ですね。1985年はリーグ優勝、日本一。(矢野)監督も就任2年目、これも(歴代の監督が)優勝ならびに2位というのは、みなさんご存じだと思います」と続け、最後には「機は熟しました」と結びましたね。球団トップが年頭からここまで強気に優勝を意識した発言を行うことは極めて異例です。

 さらに、就任2年目の矢野監督も負けずにすごい。

 「もう『優勝したい』じゃなくて『する』って決めているので。日本一にもなりますし。ファンを喜ばせたいと思ってますし、僕ら自身も喜ぶって決めているので」

 今年初めてのスタッフ会議終了後、報道陣に囲まれた指揮官は聞いていて大丈夫か?と思うぐらいの強気、いやもはやV宣言と表現してもいいようなコメントを連発しましたね。

鼻息荒い2年目の理由

 確かにV確率は100%なんです。データ的には…。56年前の1964年、東京五輪が開催された年にセ・リーグを制したのは阪神です。64年の9月30日に優勝しました。日本シリーズは南海と対戦して3勝4敗で敗れましたが、過去にたった一度しかない東京五輪イヤーに優勝したのは阪神なのです。揚塩球団社長の発言には何ら間違いはありません。

 さらに星野仙一監督の2003年、岡田彰布監督の05年のリーグ優勝はいずれも監督就任2年目です。その後も真弓明信監督、和田豊監督、金本知憲(ともあき)監督は監督就任2年目でいずれも2位でした。チーム力を把握した2年目は好成績を残していて、今季が就任2年目の矢野監督には背中を押してくれる明るいデータしかありません。なので、矢野監督も「もう『したい』ではなく『する』って決めている」と言い切るほどに鼻息を荒くしたのかもしれませんね。

 阪神ファンからすれば球団トップと現場トップがそろって優勝を例年以上に意識し、強気な態度を鮮明にしてくれるのは頼もしい限りですね。「できれば優勝したい」とか「優勝のチャンスがあるのなら…」とか、語尾を濁すことが多かった阪神とは思えない発言の数々はうれしい限りです。しかし、V宣言を本当に実現するためには、3月20日から始まるシーズンで勝利を積み重ね、他球団を圧倒しなければなりませんね。一勝、一勝の積み重ねこそが「有言実行」となる唯一無二の道です。

 では、どうすれば優勝に近づくのか。見つめるべきは、年頭から話題になっている東京五輪イコール阪神優勝というV確率100%のデータです。つまり56年前の1964年を阪神はどう戦い抜いたかを参考にすればいいのではないでしょうか。

 56年前、阪神は藤本定義監督が率いていましたね。61年途中から金田正泰前監督を引き継いで監督に就任した同監督は4年目のシーズンでした。

 チーム構成は完全に投高打低でした。最多勝(29勝)や最優秀防御率(1・89)、沢村賞に輝いたバッキー、22勝をマークした村山実、最高勝率(・769)の石川緑ら投手陣が活躍し、チーム防御率はリーグトップの2・75でした。打線は1番遊撃に吉田義男、クリーンアップは主に3番・並木輝男、4番・山内一弘、5番・藤井栄治でしたが、チーム打率はリーグ5位の2割4分。つまり少ない得点を投手陣が守り切って優勝したのです。最終成績は80勝56敗4分けでした。

すごかった藤本采配

 そして、肝心要は藤本定義監督の采配です。もう56年前のことです。私が阪神担当記者になったのは1984年の夏場でしたから、実際に藤本采配は見ていません。しかし、35年前の思い出として会社の先輩トラ番記者から赤ちょうちんの居酒屋でよく聞かされた話があります。その先輩記者は64年のまさに阪神優勝のシーズン、阪神担当記者でした。今でも脳裏に焼き付いている逸話はコレです。

 『藤本のジイさんはなぁ、春季キャンプの時に大きな紙に何か書いてたんや。ワシらが監督なんでんねん?と聞いたらな、その紙を見せてくれたんや。ワシらはそれを見てビックリしたんや。その紙には何が書かれていた…と思う? なんとシーズン開幕から140試合目までの全試合の先発ピッチャーの名前やんか。ジイさんはキャンプ中に先発ローテーションを全部決めて、それをよほどのことがない限り変えなかったんや。藤本のジイさんのすごいところはソレやがな』

 つまり藤本采配のツボは先発ローテーションの確立と、とことんローテーションを守り抜くこだわりにあった…と先輩記者はまるで自分がやったかのように話していました。ほろ酔い気分で。なんでこの話を覚えているかって? 当時、よく飲みにいっていた阪急宝塚線の服部チロリン村でね、酒が進むと先輩記者は何度も同じタイガース昔話をするんですよ。

 例えば好投の村山が打者にショートゴロを打たせたら吉田義男がエラーをした。すると村山は顔を真っ赤にさせてベンチに駆け込んだ。どないしたんや?とのぞきにいったら、村山は冷たい水を頭からジャンジャンかぶり、頭から沸いていた湯気を冷ましていた…とか。ホンマにホンマかいな?という昔話はいっぱいありました。でも、この藤本采配だけは何度も酒のさかなにして言っていたので、間違いないはずですね。

 つまり何が言いたいかといえば、本当にリーグ優勝を果たし、日本一に輝くためには先発ローテーションの確立とこだわりが絶対に必要だ…ということです。藤本采配にならう。これが矢野監督に告ぐ…提言です。

 メッセンジャーが引退し、ジョンソンとドリスが抜けた虎投はここ数年に比べて、数も質も落ちていると見てもいいでしょう。特に先発の駒が指折り数えても足りません。開幕投手が有力な西勇輝にガルシア、青柳、高橋遥、岩貞、秋山、岩田に藤浪…。どうでしょうかね。計算できますか。よほど調子を見極め、我慢強く使わないとシーズンを乗り越えられるのか、かなり心配なスタッフでしょう。だからこそ藤本采配を参考にしてほしいですね。先発投手が揺らげば、今の強気はどこかに吹き飛びます。

【プロフィル】植村徹也(うえむら・てつや)

 1990(平成2)年入社。サンケイスポーツ記者として阪神担当一筋。運動部長、局次長、編集局長、サンスポ特別記者、サンスポ代表補佐を経て産経新聞特別記者。阪神・野村克也監督招聘(しょうへい)、星野仙一監督招聘を連続スクープ。ラジオ大阪(OBC)の金曜日午後9時から「NEWS TONIGHT いいおとな」( http://www.obc1314.co.jp/bangumi/iiotona/caster.html )の『今日の虎コーナー』や土曜日午後7時45分からの「まさと・越後屋のスポーツ捕物帳!」( http://www.obc1314.co.jp/bangumi/okini/ )に出演中。「サンスポ・コースNAVI」( https://www.sanspo.com/golf/tokushu/golf-t24944.html )ではゴルフ場紹介を掲載、デジタルでも好評配信中。

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