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【虎番疾風録第3章】(87)ラスト2戦 鯉にのみ込まれ

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 「勝つための準備はできている。昨年同様、第7戦で決着をつける気持ちで最後まで戦い抜く」

 広島・古葉監督の言葉通り、昭和55(1980)年の日本シリーズも第7戦までもつれ込んだ。第5戦、ベテラン小川やエース鈴木の踏ん張りで、先に「王手」を掛けた近鉄だったが、敵地広島に乗り込んでまさかの敗戦。

 ◆第6戦 ○広島6-2近鉄● 一回、1死満塁で水谷が村田から先制の満塁ホームラン。五回にも山本浩が太田からソロホーマーを放ち、3勝3敗に。

 「カープ」一色に埋め尽くされた広島市民球場のスタンド。異様な熱気にのみ込まれ、追い込まれた近鉄に、もうはね返す力はなかった。

 ◇第7戦 11月2日 広島市民球場

 近鉄 000 003 000=3

 広島 001 012 22×=8

 (勝)山根2勝 (敗)鈴木2勝1敗 (S)江夏1勝1敗1S (本)衣笠(1)(柳田)

 走者は出した。だが、ことごとく後続が打ち取られ痛恨の4併殺。それでも六回に3点を奪って試合をひっくり返したが、その裏から先発・井本に代わって送り込んだ鈴木が再逆転を許す。最後は江夏に3イニングをピシャリ抑えられ、近鉄は敗れた。

 カープ選手たちの歓喜の胴上げ-勝利の場内一周。西本監督はじっとベンチでその様子を見つめた。近鉄担当記者たちが監督を遠巻きに囲んだ。

 「今回もあかんかったなぁ。しかしな、8回も日本シリーズに出た監督はそうおらんで。出られるだけでもオレは恵まれとるよ」

 人は西本監督のことを“悲運の将”という。何度も何度もはね返されながらも「日本一」へ挑み続けるその姿からそう呼ばれるようになった-と思っていた。ところが、平本先輩によるとそれは間違いだという。

 「昭和35年に永田オーナーの『バカヤロー騒動』で、大毎オリオンズの監督をクビになったときから、西本さんは“悲運の将”といわれとるんや。それが、いつのまにか、なかなか日本一になれないから-に変わった」

 昭和35年の「バカヤロー騒動」。球界では有名な話。筆者も先輩から、大洋との日本シリーズ第2戦でのスクイズ失敗をめぐり、大毎の永田オーナーが西本采配を非難。反論した西本監督に「バカヤロー」と怒鳴り、結局、シリーズ終了後に「解任」した-と聞かされていた。だから“悲運の将”? ことはもう少し複雑だった。     =敬称略   (田所龍一)

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