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【野球がぜんぶ教えてくれた 田尾安志】厳しい指導が財産となる

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陽性反応を示した阪神・藤浪晋太郎=鳴尾浜球場(撮影・水島啓輔)
陽性反応を示した阪神・藤浪晋太郎=鳴尾浜球場(撮影・水島啓輔)

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、社会全体の動きが停滞している。プロ野球は、開幕の見通しすら立たない状況だ。

 阪神から一度に3選手の感染者を出し、4月下旬の開幕を目指していた流れにブレーキがかかった。3選手は、いわゆる「タニマチ」と呼ばれる後援者が開いた大人数のパーティーに参加していた。リスクを避ける行動を徹底すべき大事な時期に、自制できなかったのは残念だ。

 阪神の球団としての放任主義は、昔から変わらない。僕が在籍していたときも、いちいち規制しなかった。何でも「選手の自覚に任せる」という考え方。僕は1987年にトレードで入団したのだが、「ある意味、プロらしい」と感じたものだ。その前に所属していた西武が正反対だったから、余計にそう思った。

 僕は85年に中日から西武に移籍した。監督は広岡達朗さん。あらゆることを掌握して「管理野球」と言われた。若い選手が多く、放っておくとどうなるか分からない、との考えがあったのだろう。

 宿舎で用意される食事は、玄米食が中心。簡素なパンや野菜中心のスープのときもある。アルコール類もご法度。2月のキャンプから7月の球宴まで、休日は一日もない。試合がない日でも、Tシャツやジャージー姿で練習することは許されず、ユニホームを着なければならなかった。「学生野球の延長みたい」と違和感を持ったものだ。

 極端な管理主義と放任主義の両方を体験した僕が、今になって思うことがある。広岡さんの指導を受けた生え抜き選手の多くが、後に監督になった。若いころに広岡さんに厳しい野球を教わったことが、指導者になる上で大きな財産になっていたのだ。

 西武では「リーグ優勝してもダメ。日本一にならないと値打ちは半減だ」と言い聞かされた。球宴に出場した選手に10万円、ファン投票での選出なら20万円といった具合に「ご祝儀」が出たのも、球団の意地の表れだった。選手にも反骨心が芽生え、気持ちの強い選手が育った。

 その点、人気球団の阪神は環境的に恵まれている分、選手に甘えが出てくるのかもしれない。活躍しないうちから、後援者を名乗る人が次から次へと集まる。選手を取り巻く緩い環境は阪神の弱点だ。甘い誘いをかけてくる人たちに、どう接するか。選手個々の心掛けが、球界で成功するための重要なポイントだろう。

(野球評論家)

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