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感染症と闘った郷土の先人 天然痘予防接種の秋月藩医・緒方春朔ら 朝倉市秋月博物館で特別展

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緒方春朔の肖像(個人蔵、朝倉市秋月博物館提供)
緒方春朔の肖像(個人蔵、朝倉市秋月博物館提供)

 日本で初めて天然痘ウイルスの予防接種に成功した福岡・秋月藩の藩医、緒方春朔(しゅんさく)=1748~1810=ら先人たちの功績をたどる特別展が、福岡県朝倉市の市秋月博物館で開かれている。予防接種成功の記念日に登録される今月14日には、春朔ゆかりの地を巡る「関連史跡フィールドワーク」を予定。新型コロナウイルスが世界で猛威を振るう中、同博物館は「先人たちが感染症や予防医療とどう向き合ってきたかを、改めて考えてほしい」としている。(永尾和夫)

 ■大庄屋の2児で試験

 春朔は久留米藩の町医者だったが、秋月藩8代藩主の黒田長舒(ながのぶ)に藩医として招かれた。当時、秋月藩では天然痘が大流行し、7代藩主も死去。このため名君、上杉鷹山を輩出した宮崎・高鍋藩から迎えられたのが長舒だ。

 春朔は、天然痘に関する中国の医学書「医宗金鑑」を基に研究を重ね、患者の瘡蓋(かさぶた)を粉末にして鼻こうから吸引させるという独自の人痘種痘法を開発した。寛政2(1790)年2月、春朔の理解者だった大庄屋、天野甚左衛門の申し出により、その2児に天然痘の予防接種「種痘」を試み、日本で初めて成功させた。英国のジェンナーが牛を使った牛痘種痘法を開発した6年前のことだった。

 春朔は、安全で確実な人痘法を広く普及させるため「種痘必順辨」を江戸で出版した。長舒も参勤交代に春朔を江戸まで同行させ、種痘を広めさせた。同書によると、春朔は約千人の子供に種痘を施したが、一度の失敗もなく、この種痘法を西日本の医者約100人に伝授したという。佐賀藩で初めて牛痘法が成功し普及するまでの約60年間は、天然痘の予防医療としては人痘法が中心だった。その後も、牛痘法で使う種苗が運搬途中で腐り、春朔が開発した瘡蓋の粉末を使うこともあったという。

 ■根絶までの歴史紹介

 特別展「秋月藩医 緒方春朔」では、春朔の著作「種痘必順辨」の原本のほか、施術の心得を書いた入門許可書、天然痘の感染度合いを、舌を見て診断したという図鑑など約90点を展示している。

 また、牛痘法にも触れ、ジェンナーの研究書や牛痘法で使った用具なども展示。明治以降の予防医学の歴史を紹介した。さらに、こうした先駆者の感染症との戦いが現代に引き継がれ、昭和55年、世界保健機関(WHO)が「世界天然痘根絶」を宣言したことも紹介している。

 特別展は3月14日まで開催する。

 ■関連遺跡巡りも

 朝倉市では、春朔らの業績を顕彰しようと、緒方春朔顕彰医会、天野甚左衛門顕彰会などの団体が中心になって「『予防接種は秋月藩から始まった』キャンペーン推進協議会」を結成。春朔が種痘に成功した2月14日を「予防接種記念日」にするよう日本記念日協会に申請し、平成26年に登録された。

 同博物館では、春朔らの偉業を広く市民に知ってもらおうと今回、小中学校や公共施設にポスター約300枚を張った。今月14日には「緒方春朔関連史跡フィールドワーク」を予定。当日は甚左衛門が住んでいた上秋月運動公園に集合。(1)秋月城址の春朔顕彰碑(2)杉の馬場の顕彰碑(3)春朔屋敷跡(4)長生寺の春朔墓-を1時間半かけて巡る。日本医史学会会員の隈部敏明氏が講師を務め、市民30人とともに、先人たちの感染症との戦いをしのぶ。

 同博物館の篠原浩之学芸員は「天然痘撲滅も多くの人たちの支えがあって実現できた。新型コロナウイルスの収束が見えない中で、先人たちが感染症とどう向き合ってきたかを考える機会にしてほしい」と話している。

     ◇

 【天然痘】 天然痘ウイルスを病原体とする感染症。疱瘡(ほうそう)、痘瘡(とうそう)ともいう。強い感染力を持ち高熱が出る。致死率が高く、紀元前より死に至る疫病として恐れられた。治癒した場合でも顔面にあばたが残る。天然痘ワクチンの接種(種痘)により発生数は減少。昭和55年、世界保健機関(WHO)が「世界天然痘根絶」を宣言した。

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