PR

【国家を哲学する 施光恒の一筆両断】英語化は本当に経済を活性化させるのか

PR

 新型コロナウイルスの問題に隠れ、あまり大きな話題にならなかったが、昨年4月から小学校で英語が正式教科となった。小学校以外でも英語化の波は強くなっている。有力大学では昨今、日本語よりも英語で講義をするほうが歓迎される。ビジネスの現場でも英語を社内公用語に定めるところが増えた。

 英語化の流れは、経済界が主導している。彼らの主張は次のようなものだ。日本経済の停滞はグローバル化の波に乗り遅れたせいだ。英語が堪能な「グローバル人材」を増やさなくてはならない。英語化が進めば、経済が活性化する。また、国籍にとらわれず英語で多様な人材が交流できれば、日本の企業や社会の創造性も増すはずだ。

 だが冷静に考えれば、英語化が進めば日本経済が復活するという想定は疑わしい。英語ができれば経済が成長するのであれば、フィリピンなどの発展途上国のほうが日本よりも豊かな国になっているはずだ。

 言語と経済成長に関し、最近、興味深い論文が発表された。ドイツの大学のC・ビンツェル教授らの研究グループが書いた「俗語化と言語の民主化」という論文である。(私が拙著『英語化は愚民化』(集英社新書、平成27年)で書いたことを実証的に裏付けるものだといえる)

 中世ヨーロッパでは、エリートの言語と、庶民が日常で使う言語が異なっていた。エリートはラテン語で交流したり、知的活動に従事したりする一方、庶民はラテン語を理解できず、各地の俗語(現在の英語やドイツ語のもとになった言語)のみを使い生活していた。エリートの言語がラテン語だったのはローマ・カトリック教会の影響が大きい。カトリック教会がラテン語を公用語に定め、聖書をラテン語から各地の俗語に翻訳することも禁じたからだ。

 この状況を変えたのは16世紀前半の宗教改革だ。聖書が各地の俗語に翻訳され、庶民が日常言語で聖書を読めるようになった。また、俗語が次第に鍛えられ、知的で抽象的な事柄も論じられる洗練された言語へと発展した。その結果、宗教改革以降、特にプロテスタンティズムを採用した国では、俗語で書かれる出版物が急激に増えた。この流れのなかで、一般庶民が知的事柄に接する機会が著しく増大する。ラテン語を知らない庶民でも、日常の言葉でさまざまな本を読み、学び、考えることができるようになった。多数の普通の人々が知的能力を磨き、発揮することが容易になったのだ。

 ビンツェル教授らは、歴史的資料に基づき、俗語での出版物が大きく増加した地域では、急速な経済成長がみられたと推測している。加えて、歴史に名を残す著名な人々が数多く生まれたことを明らかにし、社会の創造性が高まったとも言えるだろうと述べる。

 つまり教授らは、エリートの言葉と庶民の言葉が一致し、多数の普通の人々が日常の言葉で知的事柄を論じ、社会のさまざまな場面で活躍できる環境が整えられたことが、活力ある近代社会がヨーロッパで成立した要因だと示唆する。言い換えれば、これこそが大きな経済成長を生み出し、創造的活動を活発化させる要因だろうと考察する。

 この知見が正しければ、日本社会の英語化は経済成長を促すどころか、その妨げになる恐れがある。明治以来、日本が近代化に成功し、経済大国になったのは、日常の言葉である日本語で知的事柄を学び、考えることができる環境が整備されてきたからではないか。先人が外国語の文献を数多く翻訳し、日本語を鍛え、日本語で森羅万象を論じ考えられる環境を作ったおかげではないか。

 英語化が今後も進めば、学問やビジネスの第一線では英語を使うものとされ、日本語は日常生活のみで使われる卑俗な言葉に堕ちてしまうかもしれない。そうなれば、日本経済は成長するどころか衰退し、日本人の創造性も開花しなくなる恐れがある。英語化の流れが本当に望ましいものなのか再考する必要がある。

【プロフィル】施光恒

 せ・てるひさ 昭和46年、福岡市生まれ、福岡県立修猷館高校、慶應義塾大法学部卒。英シェフィールド大修士課程修了。慶應義塾大大学院博士課程修了。法学博士。現在は九州大大学院比較社会文化研究院教授。専攻は政治哲学、政治理論。著書に『英語化は愚民化』(集英社新書)、『本当に日本人は流されやすいのか』(角川新書)など。「正論」執筆メンバー。

この記事を共有する

おすすめ情報