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鏡から探る邪馬台国の謎 吉野ヶ里歴史公園フォーラムで3氏講演、討論

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「よみがえる邪馬台国」をテーマに開催されたフォーラム
「よみがえる邪馬台国」をテーマに開催されたフォーラム

 吉野ヶ里歴史公園(佐賀県吉野ヶ里町)で「よみがえる邪馬台国」をテーマにした特別記念フォーラムがあり、佐賀女子短期大学名誉教授の高島忠平氏、大分県立歴史博物館主任研究員の越智淳平氏、兵庫県立考古博物館学芸員の種定淳介氏が講演。邪馬台国の女王卑弥呼が魏から贈られたという三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)配布の意味などをめぐって論議を交わした。(九州総局 永尾和夫)

 ◆海指向した人々

 越智氏は「古墳のはじまり~宇佐地域からみた古墳と首長居館」と題して講演。北部九州と瀬戸内地域に挟まれた大分県宇佐地域、福岡県豊前地域の古墳について説明した。

 この中で赤塚古墳(大分県宇佐市)から出土した三角縁神獣鏡5枚は、石塚山古墳(福岡県苅田町)のほか、京都や奈良など畿内の古墳から出土した鏡と同じ鋳型で作製されていることを指摘。「当時のヤマト政権と九州の関係を知る上で重要」と述べた。また、小部遺跡(宇佐市)のように、海を指向した人々が古墳時代の始まりとともに出現。こうした墳墓や集落の動態を明らかにすることが、邪馬台国時代の解明につながると語った。

 ◆漢鏡7期の変遷

 また、種定氏は「古鏡残照~漢鏡の図像と銘文を読む」と題して、古代鏡の研究成果を披露した。漢鏡は「文様や銘文が多様で時間の変化に敏感」とされ、前漢から後漢まで、図像と銘文が7期にわたり変遷したと述べた。

 吉野ヶ里遺跡から出土した異体字銘帯鏡は、この中の3期で紀元前1世紀前半の製作と指摘した。銘文は「久しく相見(まみ)えず、長く相忘る毋(なか)らん」と解読。この銘文はなぜか、鏡が製作された時代より百年古い表現とした。内容は主君を慕う臣下の心情を歌ったものとも、男女の愛情表現ともとれると語った。鏡のデザインはその後、儒教や神仙思想の影響を受けて変容、世界観を細かく表現するものになっていったと解説した。

 ◆年代論解決が課題

 最後に高島氏が「考古学からみたこれまでの邪馬台国論争~青銅器と古墳をめぐって」と題して、畿内説と九州説に分かれる邪馬台国論争の歴史的経過について講演した。

 畿内説では、三角縁神獣鏡など3世紀の銅鏡が多数出土し、纏向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)一帯の前方後円墳が列島では最古とされることなどが根拠となってきたと紹介した。

 これに対して九州説は、吉野ヶ里遺跡で国内最大級の環濠集落などが発見され、魏志倭人伝に描かれたクニと符合する遺構が現れたことが、有力な拠りどころとなったと指摘した。ただ、考古学者の間で、50年から100年の年代観の違いがあるとして「年代論の解決が邪馬台国論争の決定的な課題」と提唱した。

 さらに、卑弥呼が魏の皇帝からもらったといわれながら、中国では一枚も出土していない三角縁神獣鏡について見解を述べた。この鏡は中国南部にあった呉の神獣鏡の系統なので、畿内は呉の地域との結びつきが強かったと考えるのが自然とした。これに対し後漢の系統の鏡が多く出土している北部九州こそ、中国北部の魏とのつながりが深かったと論じた。

 この後、高島氏の司会で3氏が討論した。

 この中では三角縁神獣鏡がやり取りされた背景について論議。「鏡は卑弥呼が下位の首長に下賜したのではなく、下位の首長が上位の首長に鏡を献上することによって、祭祀を委ねるということを表す儀礼用のもの。このため、首長間で大量の鏡が流通した」という見解が示された。

 今後、鏡配布の背景について、さらに細かい研究が必要という点で一致した。

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