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【大場一央の古義解 言葉で紡ぐ日本】(7)細井平洲

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 細井平洲(ほそい・へいしゅう)

 仁とは御身(おんみ)のうへはともかくもになされ候(そうらい)て、人のうへをあはれみ苦世話に持給(もちたま)ふことなり 『嚶鳴館遺草(おうめいかんいそう)』

 米沢藩=現・山形県=の藩主、上杉鷹山(ようざん)の師として知られる細井平洲(1728~1801)は、江戸時代後期を代表する儒学者である。米沢藩の興譲館(こうじょうかん)をはじめ、久留米藩=現・福岡県=の明善堂(めいぜんどう)、人吉藩=現・熊本県=の習教館(しゅうきょうかん)など各地の藩校に影響を与えた。

 生家は尾張国知多郡平島村=現・愛知県東海市=の豪農だった。若くして京都や長崎に遊学し、24歳で江戸に上ると、私塾「嚶鳴館」を開き、武士や庶民など身分を問わず学問を授けた。偶然、平洲の講釈を聞いた米沢藩医、藁科松伯(わらしなしょうはく)が入門し、その縁で明和元(1764)年、元服前だった鷹山の師範として招聘(しょうへい)される。

 平洲は教育を畑仕事にたとえ、個性の尊重を重視した。遺草ではこう説く。

 人を教え導く際は、菊好きの人が菊を作るようにしてはならない。そんな人は「形がそろった立派な花を咲かせよう」と、多くの枝をもぎ、過ぎた蕾(つぼみ)は摘み取るなどし、思い通りに咲かない花を畑に1本もないようにする。それではいけない。むしろ、百姓(ひゃくしょう)が菜っ葉や大根を作るような心得が大事だ。

 百姓は、畑の中で大きさも出来栄えも不ぞろいなものをそれぞれ大事にし、食べられるように育てる。教育者は、学ぶ者一人ひとりに応じた世話ができる人でなければならない-。

 人間は教育によって一定の「型」を知ることで、さまざまな技能を身につける。一方、一見無駄に思えるような行動や、理解できない思考から新たな技能が生まれることもある。教育は「型」があるだけに、その可能性を摘み取ることもある。とはいえ、放縦に任せれば、安易に退廃へと堕落する。これは今も学校に限らず、家庭や職場に通じる悩ましい問題だ。

 平洲は畑仕事にたとえて多様な個性の尊重を説いたが、それはそう簡単なことではない。上手くやるためには「仁」という心持ちが必要だとする。

 〈仁とは、自分のことは脇に置いて、人の事情をしみじみ想(おも)い、世話苦労を厭(いと)わないということだ〉

 冒頭に引いた言葉にあるように、目の前の家族や部下、友人に対し泥臭い世話苦労を惜しまないことで、その人自身が本当に必要とする「答え」を見つけ出すのである。教育とは辛抱強い信頼に他ならないと平洲は教える。そんな平洲を、鷹山は生涯慕った。

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 戦後、失われつつある先人の日本人観を思い起こすため、九州・山口の先哲や彼らに影響を与えた各地の思想家の言葉を、気鋭の儒学者、大場一央氏の解説で紡ぎます。

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【プロフィル】おおば・かずお

 昭和54年、北海道札幌市生まれ。早稲田大文学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。早大非常勤講師。著書に『心即理-王陽明前期思想の研究』(汲古書院)など。

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