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【大場一央の古義解 言葉で紡ぐ日本】(5)山本常朝

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 山本常朝(やまもとつねとも)

 武士道と云(いう)は、死ぬ事と見付(みつけ)たり

  『葉隠』

                  ◇ 

 徳川将軍家が代替わりを重ね、荒々しい戦国の余韻を残していた武断政治の世から、武士が官僚化していく文治政治へと移る頃、そんな世相に異を唱えたのが、山本常朝(つねとも)(1659~1719)だった。

 「すくたれ、腰抜け、欲深く我為(わがため)ばかりを思ふきたなき人が多く候」(卑怯(ひきょう)者、腰抜け、欲深く、我利我利の汚い人間ばかりだ)。

 『葉隠』で常朝はこう断じた。平和の代償として、すくたれが幅をきかし、素直な人間が泣きを見る社会が生まれたと感じていたのだ。そのような平和は偽善であり、退廃に他ならない。常朝はその原因を人間の本性にみた。

 自己防衛本能がある人間は、無意識に思考を誘導する。黒を白といいくるめる思想を理屈が補強し、どんな悪事もさらっと行う。常朝にとって、「忠孝」という言葉すら、すくたれの隠れみのに過ぎない。

 そんな時代に、常朝の用意した処方箋は「死にもの狂い」だ。

 「忠も孝も不入(いらず)、士道におゐては死狂(しぐる)ひ也。此内(このうち)に忠孝は自らこもるべし」「無二無三(むにむさん)に死狂ひするばかり也。是にて夢覚る也」

 相手のために死にもの狂いになるから、間違いや失敗があればすぐに気づいて的確に修正できる。そんな中で、理屈は空疎な夢に過ぎない。

 そうした「死にもの狂い」は、親や主君に対する真剣な想いがさせると考えた常朝は、その心境を恋にたとえ「思ひ死に極るは至極也」と表現する。

 「思ひ死に」に理屈はない。ただ命がけで相手を陰で支えるだけだ。そうした生き方は、きっと世間から過激だ、傲慢だと非難されるだろう。

 それでも、それで結構。

 「大高慢にて、吾(われ)は日本無双の勇士と思はねば、武勇を顕(あらわ)すこと成がたし」

 卑怯者としての生を「死ぬ」ことではじめて、人として「生きる」ことができる-。

 「武士道」とは、武士なき時代に顕れた佐賀武士の思想である。そこで語られた「死」とは、むしろ溌剌とした「生」だったのである。

                  ◇

【プロフィル】おおば・かずお

 昭和54年、北海道札幌市生まれ。早稲田大文学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。早大非常勤講師。著書に『心即理-王陽明前期思想の研究』(汲古書院)など。

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