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【坂東武士の系譜】エピローグ・内と外を結ぶ視点 庭林内膳亮 信長に名馬献上した蝋燭商人

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 戦国時代末期、宇都宮に「日本一」の蝋燭(ろうそく)商人がいた。「日本一」と断定するには、史料がやや微妙かもしれない。伊勢神宮の御師(おんし)(信者を増やし参拝の世話をする神職)、佐八(そうち)氏が残した「下野国檀那(だんな)之事(のこと)」(寄進した下野の大名家に関する顧客リスト)は、宇都宮家中の庭林内膳亮について、「右ノ人、蝋燭師也、坂ヨリ東ノ上手(坂東の名人)、昔よりの蝋燭ノ家之由承候(昔から蝋燭を扱う家と聞いている)、日本か□と申候」と記す。欠字のある文末は、「日本(ひのもと)が一」とすると文意が通る。

 庭林氏は職人・商人であり、同時に宇都宮氏の家臣だった。織田信長の記録「信長公記(しんちょうこうき)」に、天正8(1580)年閏(うるう)3月10日、「宇津の宮の貞林(ていりん)」が立川三左衛門を使者として馬を献上した記事がある。太くたくましい駿馬で、信長はたいそう気に入り、立川は多くの返礼品を頂戴して帰った。この「貞林」という人物について、研究書や同書の解説も説明していないか、当時の当主・宇都宮広綱、宇都宮家中の者を指すとしている。

 これは庭林であろう。全国をまたにかけた宇都宮の御用商人であり、宇都宮氏の外交チャンネルの一つだった。北条氏への対抗策を意識し、天下統一の仕上げへ爆走する信長と関係を持つための名馬の献上か。県立博物館学芸部長の江田郁夫さんは「京・畿内との取引があるため、日常的に下野の外とも交流がある。宇都宮家中で経済、情報で果たした役割は大きい」と注目する。

 断片的な史料から、庭林は、会津・蘆名氏配下の商人的家臣・梁田氏とも関係があったようだ。会津は和蝋燭の産地の一つである。宇都宮の多気(たげ)城築城にも協力した記録がある。

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 ◆庭林内膳亮(ていりん・ないぜんのすけ) 実名不詳(内膳亮は官名)。戦国時代末期~江戸時代初期、全国規模で活躍した商人。宇都宮氏没落後も宇都宮の町の有力者として徳川家とつながりを持ち、子・傳介、孫・久七郎と続いた。

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