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ラグビーW杯 盛り上がった福岡、陰の功労者 故末吉紀雄コカ・ウエスト会長

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平成24年に福岡市で開かれたラグビー愛好家による国際親善大会に合わせ、市内をパレードする末吉紀雄氏(左)と森喜朗元首相(コカ・コーラボトラーズジャパン提供)
平成24年に福岡市で開かれたラグビー愛好家による国際親善大会に合わせ、市内をパレードする末吉紀雄氏(左)と森喜朗元首相(コカ・コーラボトラーズジャパン提供)
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 ■招致を森元首相に直談判

 ラグビーワールドカップ(W杯)日本大会は26、27日の準決勝、11月2日の決勝で世界一が決まる。福岡市では1次リーグ3試合があり、激しいタックルやパスをつなぐ選手の姿に、観客は大きく沸いた。同市への招致には、平成28年に亡くなった地元財界人、末吉紀雄氏の貢献があった。(九州総局 中村雅和)

 27年3月2日、W杯の試合開催地が、福岡市を含む12都市に決まった。末吉氏は、福岡の招致委員会の会長として、喜びの輪の中心にいた。末吉氏は当時、コカ・コーラウエスト=現コカ・コーラボトラーズジャパン(CCBJI)=の会長で、福岡商工会議所の会頭も務めていた。

 国内15都市が手を挙げた招致合戦で、関係者の間では「福岡は落選」とささやかれていた。大会関係者が26年夏に、会場となる「レベルファイブスタジアム」を視察した際、客席のいすなどを酷評したからだ。

 「何とか逆転したい」。末吉氏は同年冬、日本ラグビー協会の会長だった森喜朗元首相に直談判した。

 「福岡にはラグビー文化が根付いている。アジアでラグビー普及を目指すなら、アジアに近い福岡で開催する意義は大きい」

 末吉氏の熱意は、森氏を通じ、大会主催者のワールドラグビーに届いた。

 元日本代表監督でコカ・コーラ・レッドスパークス監督の向井昭吾氏は「あの時、末吉氏の働きかけがなければ、福岡は外れていた。大功労者です。大会によってラグビーをやってもいいなと思う子供が増えることは、未来につながる」と語った。

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 末吉氏は西南学院大の在学時、応援指導部に在籍していた。応援を通じラグビー部員と交流した。

 平成5年、北九州コカ・コーラボトリングの総務本部長になった。同社のラグビー部は、同好会に近い存在で、専用グランドもなかった。

 「本当にやる気があるなら、応援するぞ。今のままでいいなら、それでもいい。どうする?」

 末吉氏は、部員を集めて問いかけた。部員は「やりたい」と応じた。

 末吉氏は言葉通り、練習場整備など支援を実行した。試合のたびにロッカールームに顔を出し、選手を激励した。

 当時、ラグビー部の選手だったCCBJI総務部の岡崎賢一担当課長は「ラグビーに限らず、一生懸命やろうとする人を全力で支えてくれた。根本には、応援指導部の心が流れているんでしょう」と語った。

 自社チームだけでなく、ラグビー界全体にも目を配った。コカ・コーラウエスト社長時代の20年、日本代表とオフィシャルドリンクサプライヤー契約を結んだ。資金難に苦しむ日本協会の窮状を知り、手を差し伸べたのだった。契約は今も続く。

 W杯の福岡招致決定の半年後、末吉氏は商議所会頭を辞職した。病気療養が理由だった。

 入院中も、ラグビーを気にかけていた。病室には、レッドスパークスの選手が寄せ書きしたボールを飾っていた。

 28年3月、肺がんで亡くなった。葬儀では部員がチームユニホームを入れた棺を担いだ。

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 日本代表の快進撃もあり、W杯は大いに盛り上がる。レベルファイブスタジアムでは、“にわかファン”も含め、多くの人が試合を楽しんだ。

 末吉氏の妻、升子(しょうこ)氏は夫の遺影と一緒に、W杯をテレビ観戦している。傍らには缶ビールを用意した。

 「コカ・コーラと福岡とラグビーを愛してやまない人でした。福岡開催を誰よりも喜んでいると思います」

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