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【士魂育む今村裕の一筆両断】「戦う精神」の喪失 戦後教育の落とし子

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 戦後日本における基本的な考え方を一言で表現すれば、「平和至上主義」と言えるでしょう。もちろん、「平和が最も大事だ」と言われれば、それにうなずくのは当然のことです。しかし、多くの日本人は「戦うという精神」を失い、「戦わなければ平和である」「戦うことは絶対悪である」と思い込んでいるようです。

 今、国内ではラグビーのワールドカップが開催され、日本チームの大活躍に沸き立っています。選手が突進していくプレーに魂が揺り動かされるのは、その姿に日本人が忘れかけている「戦う精神」を見るからではないかと思うのです。

 自らの肉体を犠牲にしてボールを味方につないでいく。汗や泥にまみれ、中には血を流しながら「戦う姿」を見るのです。そして「ノーサイド」でお互いの健闘を称(たた)え合います。

 日本の戦後教育は、最後の称え合う場面ばかり教えてきたように思います。「みんな仲良く」「けんかはしてはいけません」と言ったスローガンばかりで、日本人から「戦う精神」を奪い去ってきたのではないでしょうか。ノーサイドにはまず、「全力で戦う」という前提が必要なのです。

 日本中の学校で「いじめ」が起こり、それによって子供が命を絶つ事件も、珍しいことではなくなりました。その学校では、すぐさま生徒に「命の大切さ」を訴え、教育委員会が「こころの教育の重要性を痛感している」と声明を出し、文部科学省は「道徳教育」の重要性を叫ぶ。スクールカウンセラーが派遣され、生徒の「こころのケア」にあたる。第三者委員会を設け、再発防止に取り組む報告書を発表する-。定番になった対応の姿です。

 もうここまで繰り返されると、「まとはずれ」で「とんちんかん」な感じさえ受けます。

 なぜ「いじめと戦え」と教え、訴えないのでしょうか。「いじめるのが悪いと教えること」と同じくらい、いやそれ以上に「いじめと戦う精神や戦う姿勢を教えること」も大切でしょう。

 言いたいのは、けんかや暴力を奨励するというような表面的なことではありません。「自分の身や自尊心を守るために戦う精神はすばらしい」、言い換えれば「武は高貴である」ということです。これはおそらく日本以外のまともな国ならば、どこでも通用している観念です。アメリカでも、イギリスでも、フランスでも、ドイツでも。「武が悪い」ということは考えていません。

 「戦う精神」を失ったことは、重大な国民的損失であったといえるのではないでしょうか。

 そもそも、戦後の国際政治をみれば、地球上の至る所で戦争をしていた「戦うアメリカ」の軍事的な傘の下で、日本は戦争をせずに平和を維持できただけなのです。日本の平和は「戦うアメリカ」によって守られたものであり、この日本の平和主義は、アメリカの都合によって日本人に注ぎ込まれたものです。

 今の国際関係においても、筋を通すための論争、論戦、それによって生じる不愉快さに耐えるという精神がなければならないのではないかと思います。

 一例を挙げれば、今の日本は、中国や韓国からゆすりまがいのことをやられています。戦争をする必要は全くありません。しかし、筋を通すための論戦を放棄してはいけません。たとえば、韓国のいろいろな要求に対して、1910年の日韓併合条約は世界が認めた条約であること、さらに1965年の日韓基本条約はこれを認めていることの最低2点を、どんな不愉快なことがあっても、繰り返し繰り返し、主張しなければなりません。

 50年前に日韓基本条約をまとめた頃、日本の政治家も外交官も戦前派でした。今からみて悔しい部分も多々ありますが、彼らはきちんと筋を通しました。今の日本が筋を通せなくなっているのは、「戦う精神」を持てなくなった戦後生まれの人間が政治家として、あるいは外交官として職に就いているからだと思わざるを得ません。特に「戦う精神」のない二世三世議員が増え、武を尊ばないメンタリティで政治をつかさどっていることに、危機を覚えます。

 学校も全く同じです。教師も子供も、いじめに対して「戦う精神」をもって対応していきたいものです。ラグビー選手の戦う姿に見習いたいと思います。

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【プロフィル】今村裕

 いまむら・ゆたか 昭和31年、福岡市生まれ。福岡県立城南高校、福岡大学卒。兵庫教育大学大学院修士課程を修了。福岡大学大学院博士後期課程。公立小学校教諭、福岡市教育センター、同市子ども総合相談センター、広島国際大学大学院心理科学研究科などを経て、現在は大分大学大学院教育学研究科(教職大学院)教授。臨床心理士、公認心理師。

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