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【国家を哲学する 施光恒の一筆両断】「ポスト・グローバル人材」の育成を

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 「グローバル人材の育成」という言葉が教育目標としてよく掲げられるようになって10年ほどたった。端的に言えば、英語が堪能で、海外ビジネスの現場でも活躍できる人材を養成しようとするものである。

 だが、グローバル人材の育成が、現在の日本の教育目標として適切かどうか私は大いに疑問を感じている。

 第一に、世界の流れはもはやグローバル化ではないからだ。むしろフランスの知識人、E・トッド氏が指摘するように、「ポスト・グローバル化」(脱・グローバル化)、「国民国家への回帰」に向かっている。英国のEU離脱の決定、トランプ米大統領の選出、フランスの黄色いベスト運動など、欧米ではここ数年、反グローバリズムの動きが非常に強くなっている。

 第二に、反グローバリズムが強くなった原因でもあるが、グローバル化した世界とは公正な世界ではない。グローバル化を前提とした人材育成も見直されるべきである。グローバル化の下では、経済的格差の拡大や民主主義の機能不全が半ば必然的に生じる。資本の国際的移動が自由になれば、グローバルな投資家や企業の影響力が過度に増大する。グローバルな投資家や企業は「人件費を下げるために非正規労働者を雇用しやすくしなければ生産拠点をこの国から移す」「法人税を引き下げる税制改革を断行しなければ貴国にはもう投資しない」などと各国政府に圧力をかけられるようになる。その結果、投資家や大企業関係者のみが利益を得られる社会になっていき、庶民の生活は不安定化する。

 第三に、現在のグローバル・エリートを見る限り、グローバル人材は倫理的だとは言い難い。例えば、カルロス・ゴーン氏は日産を私物化した。いわゆるGAFAに代表されるグローバル企業も課税逃れといった脱法行為がしばしば指摘されている。

 グローバル人材育成とは、結局、自らを育んだ国や地域社会、あるいは会社にも愛着を持たず、自己利益のみにつき動かされる人間を作ってしまう恐れがある。

 現在の日本の学校教育が目指すべきは、むしろ「ポスト・グローバル人材」の育成だろう。グローバル化の結果、荒廃がさらに進む近い将来の日本を立て直す人材である。

 今回の消費税率の引き上げは、還付金などの対症療法でなんとか致命傷に至らかなかったとしても、来年の東京オリンピック以降の景気の落ち込みは悲惨だろう。今年4月から始まった外国人労働者の大量受け入れの結果、数年後の日本の街には外国人労働者や移民があふれ、賃金はさらに下がり、デフレ脱却は遠のく。移民受け入れをめぐる世論の対立激化や経済的格差拡大など国民の分断も進む。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)などの各種自由貿易協定に伴う「農業改革」や「漁業改革」の影響で地域経済はさらなる打撃を受ける。水道などの民営化も進み、地方を中心にインフラの劣化も問題となる。

 暗いシナリオであるが、近い将来の日本に必要なのは、グローバル化路線の誤りを是正するポスト・グローバル人材であろう。

 ポスト・グローバル人材に期待されるのは社会的基盤の再生である。インフラの再整備といった物質面でもそうであるし、国民の分断を解消し、人々の連帯意識や相互扶助意識の再構築を図るという精神面でもそうだろう。

 ポスト・グローバル人材に求められるのは、古くさい言葉かもしれないが「感恩」である。国や地域社会、家族など周囲の人々、あるいは先人の努力のおかげで今の自分があると感じ、つまり「恩」を認識し、他者とのつながりに重きを置く価値観である。

 ポスト・グローバル化の時代は、日本にとっても、もうそこまで来ている。グローバル化の誤りを正し、社会的基盤と人々の絆の再生を一致団結して図るポスト・グローバル人材の育成について、そろそろ真剣に語り始める必要があるはずだ。

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【プロフィル】施光恒

 せ・てるひさ 昭和46年、福岡市生まれ、福岡県立修猷館高校、慶應義塾大法学部卒。英シェフィールド大修士課程修了。慶應義塾大大学院博士課程修了。法学博士。現在は九州大大学院比較社会文化研究院教授。専攻は政治哲学、政治理論。著書に『英語化は愚民化』(集英社新書)、『本当に日本人は流されやすいのか』(角川新書)など。「正論」執筆メンバー。

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