PR

陸軍飛行場跡地を文化遺産に 栃木・壬生の元通信員、伝承訴え

PR

軍用機を背景に撮影した写真を手にする岩田さん=壬生町壬生丁
軍用機を背景に撮影した写真を手にする岩田さん=壬生町壬生丁

 子供の夢を育む玩具工場の工業団地「おもちゃのまち」(壬生町)が、旧日本陸軍の飛行場跡地に開発された歴史はあまり知られていない。14歳で陸軍の軍属として壬生陸軍飛行場の通信隊に配属され終戦まで従事した、同町壬生丁の岩田幸治さん(88)は、歴史の風化を危惧している。飛行場を知る最後の1人として、記録をまとめ地元で講演するなどしてきたが、遺構もなくなっていることから「跡地を町の文化遺産にするべきでは」と訴えている。(松沢真美)

◆「おもちゃのまち」

 飛行場は、現在の同町おもちゃのまちなどにかかる広大な土地に昭和17年着工。宇都宮市清原にあった宇都宮陸軍飛行学校の本校機能を移した壬生分教所が同19年に開校し、飛行場も竣工(しゅんこう)した。

 岩田さんは同20年4月に通信隊に軍属として採用された。交換機の使い方を学び、電線張りや資材の点検などを行った。7月12日の宇都宮大空襲では、敵機が来る少し前に上官から起こされた。照明弾で明るくなった空、B29の大群が押し寄せる不気味な音、焼夷(しょうい)弾で燃える空などは今も忘れられない。

 その後、飛行場への空襲も体験する。機銃掃射とロケット弾で建物が破壊されるなどしたが、死傷者は出なかった。戦後、10月30日まで飛行機を焼却するなど残務整理にあたり、飛行場は解体された。

 「当時のまま残っているのは、今は個人の所有地にある防火水槽の円形の跡だけ」と指摘する岩田さん。飛行場跡地は開拓地となり、入植者に対して農業訓練が実施された。終戦翌年の同21年、開拓団が設立され、350ヘクタールの広大な原野を切り開いた。同40年には輸出玩具の工場団地が操業を始め、東武宇都宮線におもちゃのまち駅ができ、その後も独協医科大学病院が設立されるなど開発が進んだ。今では、激動の歴史を思わせるものは残されていない。

◆歴史風化に危機感

 岩田さんは戦後、宇都宮大学を卒業し小学校の教員として定年まで勤めた。歴史が風化していく危機感から、独自に「飛行場跡地の覚書」をまとめ、町などに寄贈。しかし、飛行場を知る人や入植者などの高齢化が進み、語り継ぐ難しさを感じている。

 「飛行場関係者はもう自分だけ。飛行場があって開拓地があって、おもちゃ工場の団地ができた。この地域の歴史を伝承したい」と岩田さん。町の文化遺産として、飛行場跡の石碑と名標を設置できないかと願っている。

この記事を共有する

おすすめ情報