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触れ合い大切にされた上皇さまの再訪心待ち 栃木の関係者

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 30年続いた「平成」が終わり、新たな元号「令和」の時代を迎えた。譲位した上皇さまは、那須御用邸での静養の際、ご夫妻で周辺農家をたびたび視察され、県民との触れ合いを大切にしてこられた。皇太子時代に疎開されていた日光を含め、県内とのゆかりはことのほか深い。交流した関係者からは県内への再訪を心待ちにする声が上がっている。

 上皇さまは夏に那須御用邸で静養された際、たびたび、ご夫妻で県内の農家を視察され、県民との交流を大切にされてきた。関係者には「励みになった」と感謝の思いに加え、「ゆっくりと休まれ、また那須の地においでいただければ」との声は多い。地元ボランティアを中心とした「那須友愛友の会」が今後の継続的な御用邸の利用のため、御用邸の建て替えを求める署名活動を進めている。

 ◆被災者を激励

 上皇ご夫妻は大きな災害の際、被災者を激励された。被災地に出向かれるだけではなく、東日本大震災の際は那須御用邸の職員用浴室を被災者に開放し、御料牧場の産品を提供。上皇さまのアイデアだったという。

 また、平成10年に起きた那須水害の翌年には那須町や旧黒磯市(那須塩原市)の復旧現場を視察された。

 一方、26年には私的ご旅行として、足尾鉱毒事件に関わる場所をご訪問。渡良瀬遊水地、緑化の進む日光市足尾町の山々をご覧になり、上皇さまは「ずいぶん努力されましたね」と植樹に取り組むNPO法人の代表者をねぎらわれ、上皇后さまも「青々としてまいりましたね」と話された。

 県内には那須町の那須御用邸、高根沢町と芳賀町にまたがる御料牧場があるほか、日光にあった御用邸は現在、日光田母沢(たもざわ)御用邸記念公園(日光市本町)として整備されている。

 ◆戦時中に疎開

 上皇さまは学習院初等科5年だった昭和19年5月、静岡・沼津御用邸に疎開されたが、7月には田母沢御用邸に移られた。学習院の同級生らは日光金谷ホテルに宿泊し、御用邸内の植物園(現日光植物園)で授業も行われた。日光にも授業中に空襲警報が発令されるようになり、20年7月、疎開場所はいろは坂を登った奥日光へ。当時皇太子だった上皇さまは8月15日、湯元温泉にあった南間ホテル2階の一室で玉音放送を聴かれた。この建物は48年に益子町に移築され、益子焼の窯元が所有。ホテル、宴会場、ギャラリーとして使用され、平成28年に益子町に譲渡された。町が再整備し、平和をテーマにした展示や宿泊施設「ましこ悠和(ゆうわ)館」として6月にオープンする。

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 那須御用邸の建て替えを求める署名活動を進める那須町のボランティアグループ「那須友愛友の会」代表、高根沢清さん(66)「平成の時代は災害が多く、上皇さまは上皇后さまとともに全国に出向いて被災者を励まし、公務を十分に果たされた。御用邸の建て替えを実現して、引き続き、ご利用いただけるよう頑張りたい」

 上皇ご夫妻が視察された那須地域の農家でつくる「那須嚶鳴(おうめい)会」の市村利男会長(74)「上皇ご夫妻のご視察で農家はみんな元気をいただき、地域のリーダーとして頑張ってきた。譲位後も那須御用邸に滞在され、お体を休めてほしい」

 平成26年に渡良瀬遊水地を訪問された上皇ご夫妻を案内した渡良瀬遊水地アクリメーション振興財団渡良瀬遊水地研究所の白井勝二所長(69)=当時・同財団専務理事「雨が降りしきる中、ヨシ原浄化施設を散策し、野鳥のさえずりに耳を傾け、植物や樹木をご覧になった。ご夫妻は自然環境に造詣が深く、多くのご質問があった。この貴重な自然環境は地域の宝であり、地域の人々とともに保全できればと考えている」

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