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【ふるさとを語ろう】ビザスク社長・端羽英子さん

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ビザスク社長・端羽英子さん

ふるさとを語ろう更新

 ■銀行員の父親相手に“貸金業”

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 高校を卒業するまで熊本市内で育ちました。ただ、肥後銀行に勤めていた父の転勤に伴い、幼稚園から小学1年の途中までは兵庫県尼崎市で過ごしました。幼い頃から竹を割ったような性格でしっかり者だったようですよ。小学校に入学したときは、母から「子育てが終わった」と、自宅の鍵を渡されました。母は専業主婦だったのに「鍵っ子」だったのです。

 熊本に戻るときは友人と別れるのがつらくて泣いた記憶があります。ですが、そこは子供。わずか1週間で関西弁から熊本弁に戻りました。

 実家の周辺は田舎っぽいのんびりとした場所でした。テレビゲームを禁止されていたので、田んぼに基地を作ったり、何時間もかけて犬の散歩をしたりして遊んでいました。勉強が好きで冒険小説を中心に、本もよく読んでいましたね。

 3人姉妹の末っ子で、一番上の姉とは10歳離れています。父からは長男のように扱われました。「なぜ銀行が経済に役立つのか」といったお金の流れの仕組みも教えてくれました。そこで得た知識を元に、父親相手の“貸金業”を営んだこともあります。当時は土日に現金を引き出せなかったので、父が週末に現金を必要とした場合、金利付きでお金を貸して月曜日に返してもらっていました(笑い)。父はとにかく仕事に誇りを持っていました。私が大の仕事人間なのも、その影響を強く受けているのでしょうね。

 中学に進学すると勉強面でのライバルが現れました。負けん気が強かったので競い合いました。彼女は結局、東京の高校に進学しますが、同じ大学で再会します。勉強と並行して熱中したのがソフトボールです。ポジションは捕手。本当は球技が苦手だったのですが、克服するために頑張りました。

 高校は熊本高校です。自分で言うのも何ですが成績はよく、入学後に行われた在校生向けのあいさつでは代表を務めました。

 弓道部に所属していたのですが、2年生のときに退部して「小説を書いてみたい」という理由で文芸部に入りました。もっとも受験勉強の合間に読書するといった感じだったので、平岩弓枝や司馬遼太郎の歴史小説が好きでした。そんなこともあって、月に1回のペースで遠出し、田原坂古戦場などを巡ったりしていました。今でいう「歴女」でしょうか。

 現在、ある程度の英語を話せますが、その基礎も高校時代に築きました。ネーティブティーチャーに英語の日記を毎日持参し、添削してもらっていたのです。自分の思いを赤裸々につづっていたので、今考えると恥ずかしい思い出ですが。

 大学は京都大学の史学科を希望していました。しかし、父が東京に単身赴任していたのに加え「文学部で食べていけるのか」といった意見も踏まえ、東京大学を受験、合格しました。これを機に母も上京します。すぐ上の姉も東京の大学に通っていたので、家族4人で渋谷に住むことになりました。家の扉を開けると熊本弁が飛び交っていたので、自宅は「リトル熊本」といった感じでした。

 3年生まで官僚を志望していたのですが、海外への憧れもあって卒業後は外資系証券会社に進み、投資ファンド勤務などを経て平成24年に起業します。

 当社はビジネスの相談に対し1時間から対応できるスポットコンサルティングサービスを提供しています。「組織と世代と地域を越えて知見をつなぐ」がミッションです。熊本から東京に出たときの驚きや故郷への思いなどを、地域という二文字に込めている次第です。(伊藤俊祐)

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 次回はモスフードサービスの中村栄輔社長が登場する予定です。

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【プロフィル】端羽英子

 はしば・えいこ 熊本県立熊本高校卒。東京大学経済学部卒。ゴールドマン・サックス証券、日本ロレアル、ユニゾン・キャピタルを経て平成24年walkntalk(現ビザスク)を設立、現職。38歳。熊本県出身