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【それぞれの70年 台湾から】(3)「目を覚まし、誇り取り戻して」

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(3)「目を覚まし、誇り取り戻して」

それぞれの70年 台湾から更新

 ■“蛮行”でっちあげる日本人教授

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 「内地(日本本土)から来た先生は優しくて素敵(すてき)だった。日本統治時代は、私にとって黄金時代だったのよ。本当によい時代に生まれて幸せでした」

 4月中旬、楊素秋さん(82)に、彼女が住む台北市内で話を聞いた。楊さんは、鍼灸(しんきゅう)師の兄、楊應吟氏とともに、日本教育を懐かしむ1人だ。日本統治時代に話していた美しい日本語を台湾に残そうと、勉強会などを開く「友愛グループ」の会員でもある。

 楊さんは昭和7(1932)年、南部の台南市で電気店を営む台湾人家庭に生まれた。父も日本統治下の生まれで、すっかり「日本人」になっていた。

 楊さんは、日本人と台湾人両方が在籍する小学校に通った。当時、台湾には小学校と公学校があった。日本人や、楊さんのように日本語を常用する台湾人は小学校に、普段台湾語を話す台湾人は公学校に通った。

 「先生こんにちは!」

 放課後、自宅にカバンを置くと、小谷霊明氏という教師の家に行くのが、楊さんの日課だった。3年生の途中から5年生のはじめまで担任だった小谷氏は、いつもお菓子を出してくれた。鳥取県出身で、当時20代と若かったが、三つ指をつく礼の仕方や、食事の作法も教えてくれた。

 「この子は本当に面白い声の持ち主だ。何万人に1人かもしれない」

 小谷氏は、地元のラジオ局に楊さんを連れて行き、子供向けラジオ劇の語り手をやらせてくれた。

 台湾だけでなく、内地でも流れる全国放送で、台湾を紹介したこともある。放送直前には、台南のデパート屋上で練習した。小谷氏は、お金を入れると動く木馬で遊ばせてくれ、あんみつもごちそうしてくれた。何より楽しい時間だった。

 3年生の冬、太平洋戦争が始まった。

 4年生の秋だっただろうか、何かと遊び相手になってくれた「竹田」という教生(教育実習の学生)が出征した。大好きな先生だった。児童みんなで台南駅で見送った。

 その後の学校の朝礼。君が代斉唱の後、学校長が「今日は悲しいお知らせがあります」と切り出した。竹田先生がサイパンで戦死したと報告した。楊さんはその場で号泣した。

                × × ×

 そんな時代は中学1年生だった昭和20(1945)年の敗戦で終わった。

 新たに台湾を統治したのは、日本の敵だった中国国民党だ。父に突然、「私たちは今日から中国人だ」と言われた。「なんで?」と問い返しても、父は目にうっすら涙を浮かべるだけだった。「戦争に負けたからだ」とは悔しくて言えなかったのだろう。

 翌年、国民党軍が大陸から進駐してきた。楊さんら近所の人々は駅に出迎えに行った。予定から8時間も遅れてきた兵隊を見て、群衆からため息が漏れた。

 ボロボロの服に素足で、肩に担いだてんびん棒に鍋釜をぶら下げ、道に痰(たん)を吐き捨てた。

 規律に厳しい日本軍とは正反対で、非常に不格好に見えた。「こんな兵隊さん、認めたくない」と暗澹(あんたん)たる気持ちになった。

 楊さんは高校卒業後、幼稚園や商社勤務、病気の子供の支援、通訳などの仕事を経験した。

 終戦から約30年後の42歳の時に、初めて日本本土を訪れ、かねて望んでいた靖国神社に参拝した。「竹田先生、そして日本の兵隊さんたち、ありがとうございました」と手を合わせた。

 楊さんは、靖国参拝が中国、韓国のみならず、日本国内でも批判的に見られることに、今でも納得がいかないという。

 「国を守るために家族と別れ、故郷を離れ、命をささげた人の霊になぜ『ありがとう』といえないのか」

 2度目の訪日時は、小谷氏の故郷、鳥取の水産会社で商談があった。

 水産会社の社長が手を尽くし小谷氏の自宅を探し当ててくれた。だが、連絡を取ると、前の月に亡くなっていた。亡くなったという“現実”を受け止めたくなかったため、墓参りには行かなかった。

                × × ×

 10年ほど前、九州の大学教授だという男性が、楊さんにインタビューにやってきた。「日本統治時代はどうでしたか」と聞くこの教授に、楊さんは「素晴らしかった」と応じた。

 教授「そんなことはないでしょう。差別はあったはずだ。日本人教師に殴られなかったか」

 楊さん「まったくありません」

 教授「日本人は小学校に通うのに、台湾人の多くは公学校に入れられた。これは差別でしょう」

 楊さん「日本人か台湾人かではなく、日本語ができるかできないかで学校を分けたのです。それはおかしなことではないでしょう」

 教授「かわいそうに、あなたは洗脳されているんですね」

 この教授は植民地における日本の“蛮行”の証言が、是が非でも欲しかったのだろう。思い込みを押しつける態度に、楊さんは腹を立てて「あなたに教えられる学生がかわいそうよ」と言って席を立った。

 間もなく戦後70年を迎える日本をどう見ているのか。楊さんはこう語った。

 「戦前、台湾に来た日本人は、みんな誇り高かったのに、いつから誇りを失ってしまったの。もっとしっかりしてほしい。私は、日本人の本来の気性を信じています。必ず目を覚ます日が来るはずです」(田中一世)