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【モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら】想像できぬ当事者の苦しさ 嘱託殺人事件に思う

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ALS患者の女性から依頼を受け、薬物を投与して女性を殺害したとして嘱託殺人の疑いで逮捕された医師の山本直樹容疑者(中央)=7月23日、京都市のJR京都駅(安元雄太撮影)
ALS患者の女性から依頼を受け、薬物を投与して女性を殺害したとして嘱託殺人の疑いで逮捕された医師の山本直樹容疑者(中央)=7月23日、京都市のJR京都駅(安元雄太撮影)

それは安楽死ではない

 難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)を患い、「安楽死」を望んでいた51歳の女性が、SNSで知り合った医師2人に報酬を支払い、致死薬剤を投与してもらって死亡した。

 こうしたニュースに接するたびに、ある疑問が脳裏をよぎる。致死薬剤を投与されて意識が混濁する直前、当事者は「これで楽になれる」と思ったのか、それとも「しまった、やり残したことがあった」と悔やんだのか-というものだ。もしかすると、大半が「しまった」と悔やんだかもしれない。もちろん、そんなことは誰にも分からない。

 話を戻そう。かりに致死薬物を投与して患者を死に至らしめる「積極的安楽死」の処置を施す資格があるとするなら、それを有するのは患者の治療に当たりながら、本人や家族と対話を重ねた主治医以外にありえない。平成3年に起きた東海大学病院安楽死事件で、横浜地方裁判所は「積極的安楽死」について次の4つの条件を満たさない場合は、違法行為となると認定した。

 (1)患者が耐えがたい激しい肉体的苦痛に苦しんでいる。

 (2)患者の病気は回復の見込みがなく、死期の直前である。

 (3)患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために可能なあらゆる方法で取り組み、その他の代替手段がない。

 (4)患者が自発的意思表示により、寿命の短縮、今すぐの死を要求している。

 この事件は(1)(2)(3)のいずれも該当しない。「積極的安楽死」が認められていない日本にあって、女性の自宅を訪問して、わずか10分で死に至らしめた通りすがりの2人の行為を「義人」のように見る人もいるようだが、私は単なる嘱託殺人だと考える。その議論は専門家に任せておこう。今回ここで書きたいのは、人間の想像力のことである。

結石の激痛が深い思索を促す

 死は誰もが必ず体験するが、誰もその体験を他者に伝えることができない。この地球上で数え切れぬ数の人間が死を体験してきたわけだが、個々の死の体験はその都度消滅してしまう。それゆえに死は永遠の謎であり続ける。謎は不安を生む。この不安が宗教を生み、死をめぐる思索=哲学を生んだ-私はそのように理解している。

 死は『随想録』の重要なテーマの一つだった。宗教に頼ることなく、いかにすれば死の不安から自由になれるか。考えようによっては、近代的知性の傲慢といえなくもない。

 『随想録』を書き始めたばかり、40歳そこそこのモンテーニュは、古代ギリシャ・ローマの賢人たちとの対話を繰り返しながら思索を深めてゆく。第1巻第20章「哲学するのはいかに死すべきかを学ぶためであること」にこうある。

 《人生行路の目的〔終点〕は死である。これは我々が必ず目指さざるを得ない目標である。もし死が我々を恐れさせるならば、どうして我々はうち震えずに一歩を前に進めることができるか》

 この時点での結論は次の通りだ。

 《どこで死が我々を待っているかわからない。だからいたるところでこれを待とうではないか》

 つまり、日常の中で常に死を思い(メメント・モリ)、これを飼い慣らしてしまおうというのだ。そうすることで、われわれは死の不安から自由になれると彼は考えた。「なるほど」と思いつつも、どこか肩に力の入った生硬さを感じる。

 しかしながら、モンテーニュの死をめぐる思索はゆっくりと熟成してゆく。きっかけの一つは、44歳の彼を襲った腎臓結石の激しい発作だ。有効な薬も治療法もない時代である。彼は59歳で亡くなるまでの人生を、いつ襲ってくるやもしれぬ激痛への不安を抱えて生きてゆくことになる。第3巻第4章「気分の転換について」の中に結石の苦しみを詳しく書いている。

 《わたしの腎石はしつこいやつで、特に尿道に引っかかると、往々にして三日にも四日にもわたる長い小便づまりに、わたしをおいこむ。そして死の中に相当奥深くまでわたしを押し込むから、今さら死を避けたいと希望するのはむしろ狂気の沙汰であろう。いっそ死んでしまいたいと願う方が、その半死半生の苦しさのほどを思えば、かえって理屈にかなうであろう》

 深く共感する。理性的なモンテーニュにしても、結石の激しい痛みに悲鳴を上げ、死んだ方がましだと考えてしまう。病のために四六時中激痛に襲われたり、身体の自由が利かなくなってしまったりしたとき、死は健康なころに考えていたものとはまったく違った、天使の表情をして立ち現れる。

 健康なころのモンテーニュは、死の不安は理性で制御できると信じていた。それがこのザマである。人間には想像力が備わっているというが、病気のつらさだけは、当事者にならない限り、絶対に実感できるものではないだろう。

 そうして、彼の死への対処の仕方は、自然体へと傾斜してゆく。これを後押ししたのが、宗教戦争、ペスト、飢餓といった災厄がひっきりなしに押し寄せる吹きさらしの時代を黙々と生き、自分の信じる神に身を任せて悠然と死を受け入れていった農民たちの姿だった。かつて、死に対して何の準備(思索)もしない農民たちを「畜生にひとしき無頓着」とさげすんでいた彼は、無頓着こそが死に対処するもっとも賢明な方法ではないか、という境地にたどり着く。古人との対話を繰り返し、時折襲ってくる激痛に耐えながら、死をめぐる思索の旅を続けたモンテーニュは、気がつけば農民たちと同じ地平に立っていたのだ。

 付け加えておけば、病身の彼を支えたのは、自身を観察対象とした『随想録』の執筆と、宗教戦争の調停という大きな国家的使命だった。

 話を戻す。今回の事件をきっかけに、国会をはじめとするさまざまな場で「積極的安楽死」をめぐる議論が起こる可能性がある。そこで覚えておいてほしいのは、モンテーニュほどの知性にしても、健康なころには死をめぐって生硬な言葉を並べ立てていたという事実だ。議論には病に苦しむ当事者の参加が絶対に必要だ。そこでは「積極的安楽死」を認めるかどうか以前に、当事者が「積極的安楽死」を望まなくてもすむ社会の在り方に重点を置いた議論が不可欠だ。

 ※モンテーニュの引用は関根秀雄訳『モンテーニュ随想録』(国書刊行会)による。(文化部 桑原聡)

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