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【一聞百見】現代アートでまちづくり 千島土地社長 芝川能一さん

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若手画家、松村咲希さんの作品の前に立つ芝川能一さん=大阪市住之江区(前川純一郎撮影)
若手画家、松村咲希さんの作品の前に立つ芝川能一さん=大阪市住之江区(前川純一郎撮影)
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 不動産会社の社長なのに、なぜか美術関係のパーティー会場や作家の個展会場でよくお会いする。その都度、ごあいさつするので、実は何枚も「千島土地株式会社代表取締役社長・芝川能一」と記された名刺を持っている。現代アートを大阪の町づくりのてこに使うプロデューサーとしての顔と、若いアーティストを育てるコレクターとしての顔を持つその人と、じっくりアートにまつわるお話をしてみたくなった。(聞き手 正木利和 編集委員)

■さまざまな見方、おもしろい

 予定時間より少し早く大阪市住之江区北加賀屋の会社に着くと、広い会議室に通された。壁を見やると、そこに覚えのある大きな絵画が飾ってある。昨春、北区の画廊で行われた若手女性画家、松村咲希の個展にあった一番大きな作品だ。個展初日、彼女の取材をしているとき、おもむろに画廊にやってきた芝川さんは「この絵、もらうわ。会社に送って」となんの迷いもなくその絵を買い上げた。もちろん、もう取材どころではないくらい、彼女は喜んでいた。

 その絵である。横にもう1枚、連作ともいうべき作品が並んでいる。こちらも見覚えがあると思ったら、やはり昨秋、北区で行われたアートフェアに彼女が出品したものだった。「3、4年前に(京都造形芸術大の)卒展(卒業制作展)で作品を見たのだけれど、それが3枚とも売れていた。その後、ずっとほしくて探してて、東京にも行ったけど小品しか出ていなくて。やっとあの(取材をしていた)とき、巡り合ったんです」。「どこがいいと思ったか? そういわれても、なんとなく気に入ったとしか…。いろんな(絵画の)手法も使ってるし。実はそのときまで松村さん本人を知らなかった。あんなきゃしゃな子が、こんなダイナミックな作品を作るなんてと驚きました」

「芸術は代サッパリわからなかった」という芝川能一さん。航空機賃貸事業で所有する航空機の模型をバックに=大阪市住之江区(前川純一郎撮影)
「芸術は代サッパリわからなかった」という芝川能一さん。航空機賃貸事業で所有する航空機の模型をバックに=大阪市住之江区(前川純一郎撮影)
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 「いまグランフロント大阪でやっている作品展で、家でも飾ろうと彼女の小さな作品を買いました。さすがに、この作品が飾れるほどの壁は自宅では難しい。ほかに気になっている作家? 前田紗希さん。彼女の大きな作品を見て気に入って、さっきも作品についてのメールをしたところ」。そういえば、このビルの地下には若手女性作家、チアキコハラのオブジェや絵画作品も並んでいた。若い作家に対するアンテナは、かなり感度がいいに違いない。ところが、意外なことに現代アートコレクター歴は、さほど長くないのだそうである。10年ほど前に大学の後輩で、現代アートコレクタープロジェクト「ワンピース倶楽部」の代表、石鍋博子さんに「芝川さん、うちの倶楽部に入って」としきりに勧誘され、逃げ切れなくなったのがきっかけなのだという。

 「石鍋さんの考えは、日本人は毎年何万人と美術館に詰めかけるのに、作品を買う人は非常に少ないと。ワンピース倶楽部のしばりは、存命のアーティストの作品を年に1作は買いましょう」。「入ったらワンピースでは終わらずセベラルピーシズになっちゃって。年に数点、会社と個人で、買ってますね」見ているうちに面白くなってきた? 「たとえば、アートフェアなんかに来ている人が、作品についてどういう話をしているのかを聞いてるんです。若いカップルが『おもしろい』っていっているなあ、とか。確かにさまざまな見方がある。それで次第に関心を持ち始めたんです」

■「芸術、サッパリわからん」子供時代

 現代アートコレクターで知られる芝川さん。実は、アートなどまるでわからない子供だったのだそうである。子供のころ、美術の先生に連れられて大阪の「グタイピナコテカ」に行った。具体美術協会を興した前衛画家、吉原治良の本拠地である。「吉原さんが製油会社を経営していた関係で、ピナコテカは個人のお屋敷の蔵。こちらは絵というと写生みたいなものだろうと思っているところに、いきなり吉原さんや白髪(一雄)さんの(抽象的な)絵をみせられて、これがアートといわれても…」

 「いや、芸術、サッパリわからんと。かなりアレルギーありましたね」。以来、芸術からは縁遠い日々を送った。中学から高校1年までサッカーをやっていた。東京に出て慶応大学に入学した昭和40年代前半はみゆき族などファッショナブルな若者が闊歩(かっぽ)する時代。芝川さんもアイビールックに身をかため、青春を謳歌(おうか)した。しかし、そうした華やかさの裏側で、周囲は次第に政治的な喧噪(けんそう)に包まれはじめてゆく。「どっちかというと、不条理なことに団結して反対するような学生運動の世代ですから。昭和44年には東大安田講堂事件があったでしょう?」

学生時代のバックパック旅行で=イタリア・ベネチア(本人提供)
学生時代のバックパック旅行で=イタリア・ベネチア(本人提供)
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 芝川さんもヘルメットをかぶって角棒を振り回していた? 「いえ、僕はやってない。ノンポリもええとこ。大学が閉鎖されていたのでクラブ活動(ESS)も熱心でした。駐留軍人の家族に英語を習っていました。3回生の2月に就職が決まった後、4回生の夏休みに、リュックサック一個かついで90日間ほど海外を旅行し、その家族のもとをたずねたりもしていました」。「初めて海外に行ったのはアメリカ。グレイハウンド社のバスで横断したんですが、その途中でアポロ11号が月に行った。そのテレビ中継を、どこかで見ていた記憶があります。とにかく、海外へのあこがれがありました」

 昭和47年、住友商事に入社。大阪勤務を経て、結婚後にスペイン・マドリード駐在に。「2年半後、この会社(千島土地)をみていた父に、『会社の将来を考えたとき、なかなか難しい。お前、(会社に)こい』といわれて帰ってきました」。

 芝川家は江戸期から続く商家で、大阪で貿易商を営んでいたが、明治初期に千島新田など土地を購入、不動産事業を展開し始めた。明治45年には会社を設立、所有地の賃貸を主業にしてきた。いわゆる大地主である。しかし、芝川家は当初、社主ではあったが社長ではなかったのだそうだ。住友家から優秀な人材を招くなどして、経営をまかせていた。「経営と資本の分離ですね。私の伯父がなるまで代々一族は社長にならなかった」。ちなみに「千島」の名は、持っていた新田の名に由来している。いずれも、どことなく奥ゆかしい一族、という印象を抱かせるエピソードではある。

■メセナ大賞受賞、自信に

 「不動産は20年、30年の期間でみる事業。うちは分家なのですが、父が本家と相談し、長い目でみられる人材に後を託したいということで、お前、こいと」。そこで社長となるべく学びの日々。「失敗もしました。ほっといたらかえってくるものを買い取ったり、いまなら登録有形文化財より価値があるような明治のレンガ造りの建物を駐車場にしてしまったり」。昭和60年、節税対策の一環で会社は航空機を持った。平成10年からリースに本腰を入れ、現在運用しているのは30機。いまでは事業の柱のひとつ。「すべて海外で運用しているから外貨獲得にも貢献してます」

 アートによる町づくり、という発想も飛んでいる。「もとは昭和63年に名村造船所から土地を返還されたのがきっかけ」。バブルの時代。貸した土地がかえってくることはまずないのだが、北加賀屋(大阪市住之江区)の工場跡地は約4万2千平方メートル、ドック延長も250メートルもある。原状回復には数十億円かかるからと、そのまま返還を受けた。企業の船の保管基地として貸していたのだが、バブルがはじけた。しかしアートプロデューサーの小原啓渡氏が目をつける。「長期的に使いたい」と申し出て平成16年から30年間、無償提供した土地をアート関連イベントで活用する「ナムラ・アート・ミーティング」がスタートした。

 「経済の3要素はヒト・モノ・カネ。モノは出すから、カネとヒトを集めてこいと」。翌年には「クリエイティブセンター大阪」を開設。倉庫や工場を改装し劇場やギャラリーなどに再利用、若者を呼び込む仕掛けを作った。「夜に若いダンサーが集まってくるものだから、風営法が厳しくなるまでは名村はイベントの聖地と呼ばれていました」。さらに古い建物を安価に貸し出し、増改築を自由にしてアーティストを町に呼び込んだ。会社設立100周年に向け23年には財団をつくり、やなぎみわ、ヤノベケンジといった現代美術作家の巨大な作品を無料で預かるなど、アートをてこに北加賀屋エリア一帯の活性化をはかった。

ヤノベケンジらの巨大なアート作品が並ぶ大型美術倉庫=大阪市住之江区(守屋友樹撮影)
ヤノベケンジらの巨大なアート作品が並ぶ大型美術倉庫=大阪市住之江区(守屋友樹撮影)
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 「それが評価されて平成23年にメセナ大賞を頂戴しました。経営者として自信になりますよね」。この2年ほど、北加賀屋はウォールアートでも人気スポットだ。若いアーティストが自由に描いたインスタ映えする壁画を目当てにおしゃれな若者が集まる。「大阪人は無料(ただ)が好き。ラバーダック(平成21年にオランダの若手アーティストが作った約10メートルの巨大アヒルを大川に浮かべたプロジェクト)も見るのにカネを取らない。でも北加賀屋で飲食してくれることで町の利益に還元されている」

 なるほど、人が集まればカネを落とす。損して得取れは商いの鉄則。昨年、このエリアに生まれた現代美術家、森村泰昌さんの美術館も、バランスシートよりいろんな人がやってきて地域の知名度があがる点を重視しているのだそう。ほかにも駐車場を農園にするなど、さまざまなアイデアを実現してきた。「僕は黙って若いスタッフの提案に予算をつけるだけ」。しかしAI時代。アートというAIでははかれない人間の営みに着目し、新しい時代に人はどう生きてゆくのかを考える経営者のようにも思えるが。「アートに着目したときAIなんていう言葉はなかった。結果的にこうなっただけです」

 これからの目標は? 「会社の若いスタッフは僕が思ってもみないような視点で町を見ていたりする。いま社内の有志がワークショップで町の魅力を向上させる取り組みをしています。それをしっかり見守ることかな」

                 ◇

【プロフィル】しばかわ・よしかず 昭和23年、兵庫県出身。42年、甲南高校卒業。47年、慶応大学経済学部卒業後、住友商事に入社。55年に千島土地に入社。平成17年から同社社長。

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