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【一聞百見】京大から猟師へ 野獣の命を食に 千松信也さん  

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京都市北部の自宅裏山を歩く猟師の千松信也さん(沢野貴信撮影)
京都市北部の自宅裏山を歩く猟師の千松信也さん(沢野貴信撮影)
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 何を幸せと思うかはひとそれぞれだ。猟師、千松信也さんの場合それは、自ら仕留めた獲物を家族と食べるときであったり、積みあげたまきであったりする。どんな生活なのか。京都市北部の自宅を訪ねると、落ち葉を燃やしてたき火のそばで待ってくれていた。(聞き手 坂本英彰 編集委員)

■便利な道具のない生活楽しい

 庭先がすぐ裏山へと続く。斜面をのぼると、イノシシが鼻先で土を掘り返した跡があちこちにあった。「イノシシもシカも、時にはクマもうろうろしていますよ。植林された奥山より、里山のほうがドングリとか食べ物が多いんです」。狩猟期は11月15日から3カ月間。イノシシとシカ合わせて10頭ほど取るが、売らない。妻と小学生2人の家族が食べる分を賄うほか、友人に分けるだけだ。京大在学中にアルバイトで入った小さな運送会社に、いまは準社員として週3~4日勤める。「世間では何で収入を得ているかでその人を表すのが普通ですが、僕は猟師でお金を稼いではいないんです。何者かと聞かれたら、猟師だというのが一番しっくりくるのですけどね」

 一般的な猟師のイメージである銃は使わない。直径12センチのワイヤロープの輪を仕掛けるわな猟師だ。狙った獲物が足を置く場所を、ピンポイントで見定める。「獲物の通り道に仕掛けるのですが、イノシシは嗅覚が鋭く用心深い。わなの手前でUターンしたり、またいだりします。向こうも僕のことを、あの人間だと思っているでしょう。動物の一員として、生態系に入れてもらっているという感覚が好きなんです」

千松さんが獲ったイノシシの骨(沢野貴信撮影)
千松さんが獲ったイノシシの骨(沢野貴信撮影)
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 獲物がかかるとセンサーが働きメールで映像を送る。今はそんなハイテク装置もあるが使わない。常にメールを気にし、装置を買うため余計に働くということになりかねないからだ。「便利すぎる道具は生活を壊す気がするし、何だか楽しくなさそうでしょう」。山からは山菜やキノコも採れる。飼っているミツバチからはハチミツ、ニワトリからは卵がとれる。まき風呂、まきストーブの燃料は倒木などで調達する。川や海でも魚を取り、カモやスズメを狙う網猟を行うなど、一家の食卓にのぼる多くを自然から調達する。

 「まき割りは楽しいですよ。狙い通りの筋でパーンと割れると、オッシャーって感じ。まきが積みあがっていくと、幸せが積みあがっていくように思います」。自分で割ったまきをストーブにくべながら、顔をほころばせて語った。

■京大の自由な学風に刺激受け

 千松さんの案内で同市北部にある自宅の裏山に入った。「木についた泥はイノシシが体をこすった跡で、縄張りを示しています。ヌタ場という泥浴びをするこの水たまりは、濁り具合から3日ほど前に使っていますね。黒いのはテンの糞(ふん)です」。生き物の気配を感じなかった冬枯れの森が、違って見えた。住宅地に近い都会の里山で、これほども動物たちが活動しているとは。

 千松さんは兵庫県伊丹市の兼業農家の生まれ。宅地開発が進むなかでも田畑はあり、子供のころ風呂はまきで沸かしていたという。「おーい、まきをくべてくれ」。風呂たきは千松さんの役目だった。風呂場からそんな声が飛ぶ家庭で育った。両親は犬や猫、ニワトリなどを飼い、千松さんもカエルやザリガニ、昆虫などさまざまな生き物を捕まえては飼育した。ヘビを飼い始め、祖母に縁起が悪いと大目玉を食ったこともある。「無人島での生活にあこがれたりもしました。自然の中で獲れるものだけで暮らせないか、なんて真剣に考えるような子供でした」

 高校時代は獣医を目指すことも考えたが、民俗学に興味を持ち京都大文学部に進む。京大まで出て何で猟師になったのか-。千松さんが受ける定番の質問だ。「『のに』ではなく京大に行った『から』、猟師になれたのだと思います。講義を聴くだけの大学だったら、会社員になっていたかもしれない。講義そっちのけで好きなことをしている人たちが多く、とても刺激的な学生時代でした」

京大時代、わな猟で捕獲した獲物のシカをバイクで運ぶ千松さん(本人提供)
京大時代、わな猟で捕獲した獲物のシカをバイクで運ぶ千松さん(本人提供)
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 自由な学風の京大の中でも、さらに解放区のような吉田寮に住んだ。仕送りを断りアルバイトをしながら自活した。4年間休学してアジア各地を放浪し、東ティモールでインドネシアからの独立の是非を問う住民投票の監視活動をするNGOの活動に深くかかわった。「東ティモールのひとたちは国づくりに生き生きしていました。でも独立したら外部の人が居残ることはかえって迷惑になる。自分が住むべき所に帰ろうと思って京都に戻りました」

 あるときアルバイト先の運送会社に、わな猟をする社員がいると知った。弟子入りするように教えを請い、魅力にとりつかれた。偶然の出会いが子供のころの夢を開花させたのだ。初めて捕獲したのは大物のシカだ。バイクの荷台にくくって寮に持ち込みマイクで放送すると、寮生たちが包丁を手に集まってきた。たき火を囲んでシカ肉の大宴会になったという。「猟師になろうと思ったというより、やってみたらしっくりきたんです。それがいまも続いている」

 なぜ猟師を専業にしないのか-これもまたよく聞かれる質問だ。千松さんは猟師だけで生計を立てるとすると最低いまの10倍、100頭は獲らないといけないと計算し、こう話した。「自然界の動物は、他の動物に対してそんな殺し方はしません。他の人たちが食べる肉のために動物を殺すというのは、僕の生き方ではないのです」

■動物が好きだからこそ

 関西国際空港の連絡橋にタンカー船を衝突させた一昨年秋の台風は、京都市北部の山林にも大きな爪痕を残した。倒木など被害は大きかったが、猟師の千松信也さんは意外なことを言う。「人工林が倒された林業は大変でしょうが、里山の倒木は長いサイクルの中での変化にすぎません。木が倒れれば日当たりがよくなって育つ草もある。倒木に生えるキノコにとって3~5年間は、ボーナスタイムみたいなものでしょう」。裏山に散乱した木や枝はまきとなり、風呂を沸かしたり部屋を温めたりした。「これはまだ採りごろじゃないので少し待ちます」。倒木になめこが生えていたが、急いで採ることはしない。行楽で出かける1日限りの山菜採りではない。千松家の暮らしも、自然のサイクルの中にあるのだ。

 近年はイノシシやシカによる獣害が深刻で、街に現れるとニュースになる。しかし千松さんは野生動物がいない里山こそ、特殊な状況だったのではないかという。江戸時代は大規模なシシ垣を造るほど人間とイノシシがせめぎ合ったが、明治以降は山林利用や乱獲で動物は激減した。今度は里山が放置されたため、意図せず繁殖する環境が現れた。「いまは田舎でもまきではなくガスで風呂を沸かす。山と無関係になると人は途端に関心を払わなくなり、すぐ近くで暮らしている動物にも気づかなくなってしまいました」。自然を人間仕様に作り替える農林業と違い、猟師は気配を消して入る。わなをチェックするため毎日山に入る千松さんは、動物が踏んで位置がずれた枝葉など些細(ささい)な変化にも敏感だ。「ちょっと上着を脱いでいいですか。たき火のにおいがつくとまずいんですよ」。撮影で着用した狩猟用の上着を脱ごうとしたのは、においが動物に悟られるためだ。わなを仕掛ける前日はせっけんを使わず入念に体を洗うほど気を付ける。

獲物を解体する自宅脇の作業小屋で話す千松さん=京都市(沢野貴信撮影)
獲物を解体する自宅脇の作業小屋で話す千松さん=京都市(沢野貴信撮影)
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 動物と対面するのは仕留めるときだけだ。イノシシは片足をワイヤにつながれながら牙をむきだして威嚇してくる。行動範囲を狭めるように誘導し、眉間を木の棒で強打する。またがっておさえ込み、心臓近くの大動脈にナイフを突き立てると血が噴き出す。「追いかけていた獲物が取れたときにはうれしい半面、愛着もあるんです。ごちゃごちゃ考えず作業を進めますが、いまも獲物を殺すことに感情の揺らぎがないわけではありません」

 スーパーで買い物客がパックの牛肉や豚肉を見て、その持ち主だった動物が命を絶たれたことを思うことはない。考えたくないことを考えずに済ませていることさえ、私たちは意識していない。千松家の冷凍庫のイノシシやシカを小分けした肉のパックには、捕獲日やオスメスなどの情報が手書きで記されている。命と食が直結しているのだ。動物が好きなのに猟師ができるのですか-千松さんはこの質問にはっきりとこう答える。「動物が好きだからこそ、殺すことを他人に任せたくはない。だから猟師でいたいと思うのです」と。

                  ◇

【プロフィル】せんまつ・しんや 昭和49年、兵庫県伊丹市生まれ。京都大文学部卒。4年間休学してアジア各地を放浪、東ティモールのインドネシアからの独立の是非を問う住民投票では現地でNGOの活動に参加。在学中の平成13年に狩猟免許を取得、先輩猟師からくくりわな猟を学ぶ。運送会社で準社員として働く一方、京都市北部の自宅を拠点にイノシシやシカを取り、スズメやカモなど野鳥も取る。川や海で魚を釣り、琵琶湖では投網でアユを取る。著書に「ぼくは猟師になった」「けもの道の歩き方」と、子供向けの「自分の力で肉を獲る」。

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