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【一聞百見】「地層は語る」秀吉が驚愕した慶長伏見地震 地震考古学者 寒川旭さん

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地震考古学を提唱し成果を上げてきた寒川旭さん。自宅から有馬ー高槻断層帯(北摂山地)を望む=大阪府高槻市(鳥越瑞絵撮影)
地震考古学を提唱し成果を上げてきた寒川旭さん。自宅から有馬ー高槻断層帯(北摂山地)を望む=大阪府高槻市(鳥越瑞絵撮影)
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 死者6434人、4万3千人余りの負傷者を出した阪神大震災は四半世紀を経過し、来月には2万人以上の死者・不明者を出した東日本大震災が発生から9年となる。巨大地震のメモリアルのたびに展開される新聞・テレビの特集で、コメンテーターとして頻繁に登場しているのが地震考古学者の寒川旭さん(72)=産業技術総合研究所名誉リサーチャー=だ。ちょっと耳慣れない「地震考古学」だが、それは地震の発生源となる活断層や遺跡発掘の調査結果と、古文書などの歴史資料を結び付けて、地震の歴史を研究する学問。地震考古学の提唱者である寒川さんに、研究への思いを聞いた。(聞き手 上坂徹 編集委員)

■新たな学問分野を提唱

 「日本の地震と被害の歴史を知ることで、これからの地震への備え、教訓にしてもらいたいからです」。東北大学で地学、特に活断層の研究をしてきた寒川さんは、大学院博士課程を修了後、研究職として通産省工業技術院地質調査所(現産業技術総合研究所)に入所した。主な仕事は全国でみられる活断層を確認して、地図に書き込むことだった。地球の表面を隙間なく覆う十数枚のプレート(岩盤)どうしの相対運動によって、地震などの地学現象が引き起こされるとするプレートテクトニクス理論は1960年代に本格化。直下型地震は大陸側のプレートと海側のプレートがぶつかり合うことで大陸側プレート内部のゆがみが蓄積され、耐えきれなくなると岩盤が壊れ、ずれ(断層)を起こすことで発生する。

 「私の学生のころはその反対論がまだある時代で、活断層の研究をしていたのは全国で教授や学生が十数人でした。地質調査所に入ったころ、全国で確認されていた活断層は十数本程度で、発見すると、命名する権利があるので、張り合いはありましたね」。活断層の確認は空中写真から、地表の変位の痕跡を確認する方法や、地面に深さ3~4メートル、幅3メートル、長さ10メートル程度のトレンチ(調査溝)を掘って、壁面の地層の観察で過去の活断層の活動を調べる方法などがある。現在、全国で確認されている活断層は約2000カ所。寒川さんは約40カ所の命名をしたという。

 「トレンチ調査では、活断層の活動によってできた地層に大きなずれを確認しますが、破壊された地層から、土器などの遺物や住居跡などが見つかることがある。それを分析することで、地層のずれが起きた、つまり地震が発生した時代が特定できます」

 昭和61年ごろ、滋賀県高島市にある縄文から弥生時代にかけての墓跡が検出された「北仰西街道(きとげにしかいどう)遺跡」の発掘調査を見学したとき偶然、液状化現象に伴い噴砂が上昇した痕跡(地震の跡)を見つけた。墓の年代を特定することで、縄文時代晩期(約3000年前)の地震の痕跡と分かった。歴史学にも強い興味を持っていた寒川さん。古文書などの文献や考古学的な手法を使って過去に起きた地震を特定し、見つかった断層の活動時期と照合することで、歴史上の地震がどの活断層の活動によるものかなどを研究するようになったという。

断層の発掘現場で説明する寒川旭さん=平成8年(本人提供) 
断層の発掘現場で説明する寒川旭さん=平成8年(本人提供) 
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 昭和63年のことである。弥生文化の研究で知られた考古学者の佐原真氏(当時奈良国立文化財研究所埋文センター研究指導部長、故人)が寒川さんの研究を知り、「素晴らしい研究なので研究分野として提唱したほうがいい。名づけるとすれば地震考古学ではどうか」とうながされた。寒川さんはその年の日本考古学協会や日本文化財科学会の総会で、考古学の遺跡で地震を研究する分野として「地震考古学」を提唱。新たな研究領域がスタートした。

■被害の教訓、次代に伝える

 未曽有の被害を出した平成7年の阪神大震災。その震源となった淡路島北西部の野島断層に、寒川さんは強い思いを抱いている。「実は昭和54年7月に、野島断層を調査し、48度の傾斜で乗り上げた断層の痕跡を見つけました。2万年余り前まで流れていた河川の底が野島断層によって上下に約9・5メートル、右横ずれ方向に約10メートル変位したことを確認しました。野島断層の正確な位置や2万年間での変位量は把握できましたが、直近の活動までは、分かりませんでした」

 震災後に野島断層を調査したところ、地震で動いたのは縦方向に1メートル、横方向に2メートルで、寒川さんが確認した所在範囲は寸分たがわず動いていたことが分かった。さらに、阪神の前に野島断層が活動したのは1世紀ごろだったことも分かった。「野島断層が阪神大震災で動くまでに、2000年の間隔がありました。2万年余り前からの地震で20メートル動いている。一回の地震で阪神と同様に2メートル動くとすれば、これまで10回の地震を起こしたことになり、2000年ごとのサイクルで野島断層は動いていることになる。ただ、これは震災後の調査で分かったことです。最初の調査時に、2000年ごとに動くことが分かっていたら、阪神大震災前になにか、注意を促すようなシグナルを送れたかもしれません」

 近畿での活断層調査や、遺跡発掘の現場からは、文禄5(慶長元、1596)年におきた慶長伏見地震の痕跡を確認することが多い。この地震では、豊臣秀吉が指月(しげつ)(京都府伏見区)に築いた伏見城で、二の丸が崩落して女房衆約300人が亡くなり、周辺の町家では1000人以上が犠牲になっている。大阪や堺では、町家の多くが破壊され無数の犠牲者を出すなど大阪、京都、兵庫、和歌山の広範囲で激しい被害を出した。この時には京都盆地西端から淡路島に至る約80キロの範囲にある活断層が一斉に活動したとみられ、地震の規模を示すマグニチュード(M)は7・5~8。阪神大震災(M7・3)をはるかに超えるエネルギーが放出された。

小学校で自ら考案したペットボトルの装置を使い液状化現象を説明する寒川さん=平成20年、大阪府豊中市(本人提供)
小学校で自ら考案したペットボトルの装置を使い液状化現象を説明する寒川さん=平成20年、大阪府豊中市(本人提供)
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 寒川さんは「慶長伏見では淡路島でも野島断層近くの別の断層が活動しているが、触発されて動いてもよさそうな野島断層は動かず、阪神で活動しました。慶長伏見で動いた活断層は2000~3000年、野島断層は2000年が活動サイクル。次の大地震のピンポイント予測はできませんが、その場合の被害状況も歴史に学べます。そうしたことを伝えて、教訓にしていくことが大切です」と話す。

 そのため、寒川さんは各地の小学校での「出前授業」や、市民向けの講演会を開催して、地震考古学の研究から分かってきたことを伝えていくことにも力を入れている。子供のころに「漫画家」になりたかったというほど得意のイラスト、自ら考案した液状化現象の発生装置などを駆使し、わかりやすく説明する。寒川さんは「そう遠くない時期に発生するだろう南海・東南海のことは興味を持って聞いてもらえます。ただ、日本中の活断層の履歴が明らかになっているわけでなく、地震はいつどこで発生するかはわからない。歴史上の地震から得られる教訓も考えてもらい、将来起こりうる地震に備えてほしいですね」と話している。

【プロフィル】さんがわ・あきら 昭和22年4月、高松市生まれ。独立行政法人産業技術総合研究所名誉リサーチャー。東北大学理学部地質学科卒、同大学院理学研究科博士課程修了。理学博士。通産省工業技術院地質調査所(現産業技術総合研究所)に研究職として入所。全国の活断層の所在調査などに従事。活断層の活動記録や遺跡調査で確認された地震の痕跡と、文献などの歴史資料を融合する地震考古学を提唱、地震の歴史を研究してきた。東京大学生産技術研究所客員教授、京都大学客員教授などを経て、現職。著書に「地震の日本史」「秀吉を襲った大地震」「歴史から探る21世紀の巨大地震」など。

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